二次創作とクィア・リーディング(長)
以前、noteか何かで「腐女子の二次創作はクィア・リーディングなんていう高尚なものじゃない❗ 思い上がりだ❗ 私たちがやってるのは単なるオナニーであって批評行為なんかでは断じてない❗ (要旨たぶんだいたいそんな感じ?)」的なことを力説している文章があったんだけど、なぜそこまでして怒りながら、「批評」というものをやたらと高尚で格調高いものに奉り、それに対置させるものとしての自分たちの創作を卑しめて自虐して地に堕とすことに熱心にならなければならないのか、そのモチベーションがさっぱり理解できなかったな。
あたし個人的には、原作でセクシュアリティが明示されていない架空のキャラクターのセクシュアリティをマイノリティのそれと仮定して二次創作することはある種のクィア・リーディングではないか、というテーゼは十分議論になり得ると思ってるよ。ケースバイケースだとも思うけど。これだけマジョリティのための物語が数多く作られる世の中で、それに抗する創作活動としては、きっと一定の価値を持つのではないだろうか。
今、「消費」という言葉がやたらとあちこちで使われているという体感があって、この言葉って「あなたのやってることは実は消費なんですよ」という糾弾にも使えるし、「私は○○を消費してしまっているのかも…」という自省のようなことにも使えてしまうんだけど、あたしはこの言葉の使い方に疑問を抱いている。
人間とかアイドルとかキャラクターとかフィクションとかなんでもいいけど、ある対象を「消費」していると感じるとしたら、その帰結として何が問題で、持続可能的にするにはどうすればいいのか、構造や何かしらに問題があるなら何を変えればいいのか、を考えるべきはずのところが、「消費だ…」と暗い顔をするだけで終わってしまっているような気がして。むしろそれこそあたしは思考停止のように感じる。
もう一歩、もう少し踏み込んで考えてみないか。話はそれからだ。という気がするんだな。
『52ヘルツのクジラたち』を観ました
原作(町田その子)未読です。
X(旧Twitter)でこの映画について、「自分にはこの映画をフィクションとして『消費』することはできない」という旨のポストを見た。正直そのポストの内容を最後まで読んでいないのでそれが批判だったのかどうかはわからないんだけど、それが心に引っ掛かって何となく観るのを躊躇していた。
確かにこの映画で語られていることはひとつひとつすべてが、あまりにも重くて苦しい。ただ私は、この作品に出会えてよかったと思う。
児童虐待、家族や血の呪い、トランスジェンダーの苦悩、都市と地方の間にあるマイノリティの生きやすさの違い、など、それらを「泣けるドラマ」にしてしまっている、と言われればある意味そうなのかもしれない。でもこの映画では、ひとつひとつのイシューを決して雑に戯画化したりせず、すべてと愚直に向き合って体当たりして、丁寧に丁寧に描こうとしていたと感じた。
『遠いところ』を観た時にも思ったが、映画や小説などのフィクションが帰結として引き起こせる行動は「消費」だけではないと、私は思う。フィクションにも、フィクションだからこそ、できることがあるはずだと、創作をしようとする者の一人としてその力を信じている。
Planetary conjunction captured in late 2012. Jupiter and Venus shining bright in the twilight sky over a small stand of black spruce in the tundra on Murphy Dome outside of Fairbanks, Alaska.
In my landscapes gallery: https://photos.lwpetersen.com/Galleries/Alaska-Photos/Landscapes
あたしは個人的に何故かSixTONESにずっとこう…HUNTER×HUNTERの幻影旅団みたいな…いや全然違うんだけどなんか流星街みたいなところでワチャッと集まって遊んでた仲間たちが大人になっても一緒に徒党を組んでいて最強・最凶集団に成り上がっていくみたいなそういう「物語」的なるものを夢見ていて…なんか今回のMVでは田舎?のよくわからん廃倉庫みたいなとこを基地にしてた6人が大人になって子どもの頃の自分たちの幻を見るみたいなストーリー(だよね?)だったからちょっとそれを連想してしまいました…
いや幻影旅団は冨樫義博曰く全員死ぬらしいし実際オリメンが既に3人くらい死んでるのでそれは困るんですけど…てかこのMVと曲はめちゃくちゃハッピーでピースフルだしな…
SixTONES – 音色 [YouTube ver.] https://www.youtube.com/watch?v=pXtP_U1NHhc&si=QmiHp3-Y5pWMMJbB
ガザで、子どもが集中的に狙撃対象になっているという記事。明らかに戦場ではない場所でも狙撃は行われていて、高性能の狙撃ドローンも使われているとのこと。
>“This is not a normal war. ... We have seen wars before but this is something that is a dark stain on our shared humanity.”
(これは普通の戦争ではない。〈中略〉私たちは以前にも戦争を経験してきましたが、これは私たちが共有する人間性に暗い汚点を刻むものです。)
‘Not a normal war’: doctors say children have been targeted by Israeli snipers in Gaza
https://www.theguardian.com/world/2024/apr/02/gaza-palestinian-children-killed-idf-israel-war
Mugiko ANAN
Queer / ALLY 🏳️🌈🏳️⚧️
Cease Fire Now🇸🇩🍉
文学と音楽と映画とアイドルとVtuberとシーシャが好き
Profile Illustration : ユラユラ人類学