菊陽を中心にした土地バブルそのものもだいぶ悪影響が認識されてきたと思うけど、そもそもスプロールが進みすぎて鉄道利用も不便で国道県道はいつも渋滞、なのに新規建設も道路拡幅もままならない(スプロールしてるから当然だし、整備効率も低下する)というのが戦後からの熊本市東部の問題だったのだから、それを市外にまで広げてどうするんだという感じ。
57号東バイパスが70年代からずっとこのかた低速幹線道路として悪名をとどろかせてきたのが、80~90年代の大津・菊陽バイパス完成と拡幅の効果をも呑み込んでいく印象がある。都市計画ではなく都市無計画
もともと京町経由だった3号を清水まわりに移し、その際の拡幅のリソースは浄行寺から水道町までの市電廃止に乗じて獲得してる形なので、手取から山崎町までの区間は渋滞しなくなったけど白川沿いにしわ寄せが行くのは当然の結果