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『登場人物たちが「思いやり」と「道徳」と「自己犠牲」で難局を切り開いてきて』、でもどん詰まりになって、そのときに「そもそも社会構造に問題があるんだ」と気づき、「それを変えればいんじゃね?」ってなった物語が『たつの子太郎』。小学生のときに読んで衝撃を受けましたね…。

大抵の物語は置かれた環境の中で精いっぱい頑張ることしか書かれていない。その環境が実は人為的に作られたものだということに、作者自身も思い及ばないからでしょうね。
「たつの子太郎」では、置かれた環境は閉じられたもので、実は外側がある、ということに気づいた太郎が、そのことに言及するんです。そのシーンを読んだ時、これまで自分がいかに「狭い世界の中で完結する物語」の枠に嵌っていたかを気づかされて、子どもながらに「ガーン!!」と衝撃を受けました。
とはいえ、現実問題の中で、そのことをなかなか見抜けなくて。
80年代のアグネス論争もそうで、「母親」と「世間」のどちらがどうすべきかという二択で論じられていた時に、上野千鶴子が「父親はどこにいるの?」という"横紙破り"(←と当時言われた。今思えば別に横紙破りじゃないですよねぇ…。でも当時はそうだったんです)をした時の衝撃もこれに似てました。
問題を狭い世界の中だけで考えるから行き詰まるので、外側から見る必要がある。だけど、外側があることに気づける人はなかなかいないという…。

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