引け目を感じていたからアライ寄り、というのも大分傲慢な考えと物言いだと思うんだけれど、事実の告白であるなら致し方ないのだろうかとも思いつつ。
しかし、本質主義として、男性と女性という分かち難い性がある、という事に近年私は疑問を抱いていて。
男性と女性が分かち難い性で医学的にもそうである(だから本質である)というのも、でもじゃあ外観では男性器がついているけれど精巣がなかったり体内には卵巣や子宮などがある人、もしくは男性器がないけれど体内に卵巣や子宮がない人、というのはどう判断するのだろうか。それは圧倒的少数であるから考える必要がない、という考えなのだろうか。