『建築ジャーナル』アイヌ民族と建築号を読んでいる、面白い論考もあるのだけれど、なんか「アイヌ」と「本州の和人」の視点しかないが故に「北海道の和人は自分が簒奪者であることに対してノーテンキでダメだなー」みたいな見方が(特に本州の和人である山川さん、小田原さんの意見から)にじみ出てて、なんかすごいしんどいな。「開拓精神みたいなものによってなんで盛り上がれるのか本州からしたら理解不能」みたいなことが書かれていたりする。もちろん興味ない北海道民もいるだろうけど、自分たちがセトラーとして奪った場所に生まれ暮らしてること、故郷が誰かへの搾取の成れの果てであること、自分の祖先がまちを拓いて、一方ではそのお陰で旭川が栄えているけどもう一方ではそのせいでアイヌが住んでいた場所を追われて命を脅かされて今でも差別が残っているということを知っていて、もっと知りたいし、取るべき立場をできるだけ正しく選び取りたいと思っている北海道和人もいるってことが無視されている。もしかしたら生きる場の簒奪についてもっと関心の薄い人も多いかもしれない属性である本州の和人から「北海道の和人はダメだね」って言われてて、なんかそれはすごいやだ
本州に残った和人は無罪、北海道に渡った和人は有罪、みたいな分断をなされるいわれはないんだよなあ。そもそも屯田兵や開拓農民やそのほか労働力として北海道に渡ったのは士族や農家の長男以外(家を継がないので土地や財産があたらずそのままそこにいては貧困に陥るしかない)とか何らかの囚人(含政治犯)で、新天地を目指すほか選択肢がなかった人々が大半だから、アイヌについての北海道和人の振る舞いの問題とは全く別のところで、北海道の和人が本州の和人から追いやられたっていうことを無視してはいけないとも思うんだよなあ