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「パパ(orママ)」だから情けない姿は見たくないし、常にかっこよく仕事のできるところを見せて欲しい。何もしなくても守ってほしい。代わりに「いい子」にして言うことも聞くから、無条件で愛して欲しい。
改めて言葉にすると実に気色悪いな。堕落した甘ったれ。民主主義は自分の仕事だよ。

そして、寄りにもよって日本の新聞すらも、そのような政府の国内向けの詭弁をそのまま繰り返して、それに承認を与えている。
政府もひどいけれど、メディアが変わらないといけないですよ、これは。」
blog.unic.or.jp/entry/2015/08/

条約に基づく委員会からの勧告に法的拘束力がない、従う義務などない、この条約は個人の権利を保護するものではない ‥‥‥ そんな言い分が、国際社会で通用するはずがない。しかし、日本政府はそのような詭弁を、国内向けには続けている。

いったい誰がこんなミスリーディングなことを書き始めたのか??
かつて女性差別撤廃委員会(CEDAW)の委員長も務めた林陽子さんは、
――「「これは法的拘束力を持つ条約上の義務なのですよ」と改めて言う必要がある。そうしないと、なんとなく努力目標で終わってしまう――と、強く念押ししている。

いわゆる「自己責任論」には仏教思想の影響もあると思うのだけど、仏教の本義に従えば「他人の人生は自業自得なのだから口出しするな」と言わないと筋が通らないということなのか。「自己責任で何とかしろ」と他人に言ってくる政治家の浅はかさ。 twitter.com/VinayaPitaka250/st

権威主義者だから、リーダーが一般市民に率直に頭下げたり「申し訳ない」と言ってるのを見ると、キレるか冷笑するんだよな。彼らは政治家に「父親(or母親)」の代わりを求めているだけで、リーダーシップを切望しているわけではない。「日本人は12歳」と言われる所以。 twitter.com/washburn1975/statu

何だかんだで尾辻さん(比例四位だったのでギリギリだった)まで復活当選しているので、維新退潮にともなってリベラル派支持が回復しつつあるのでは。 twitter.com/SADL_OSAKA/status/

「共闘は今日が終わりではない。今日が始まりです」デモクラシーのリーダーらしい発言です。

【衆院選2024WEB特別版】共産・社民と“勝手に野党共闘”…愛知10区 立憲民主党・新人の藤原規真さんが喜びの声
youtube.com/watch?si=dX0pLrfLP

野田と山本太郎の人種差別発言はこの意味で致命的だったと思います。れいわ立憲のすべてを否定する気はありませんが、少なくとも立憲主義運動のリーダーの資質ではありません。 twitter.com/yukioiokibe/status

以前のイスラエルでは国内で「出稼ぎ労働者」として働くパレスチナ人が沢山いました。しかしハマス台頭後は政府は方針転換しアジア人労働者を安くこき使うやり方を始めてパレスチナ人を追い出しましたt.co/XJNHCgGkPZ。ハマスの人質で真っ先に解放されたのもタイ人。自業自得の末路かと。 t.co/DftR22ONVs

ご支援お願いいたします。
「妹のモナと私はテントの中に座っていました。彼女は動揺していて、何も期待していませんでしたが、小さな贈り物で彼女を驚かせたので、彼女の顔に再び笑顔が戻りました!私たちへの寄付の瞬間は、私たちにとって素晴らしく嬉しいものです」
gofundme.com/f/help-muhammad-a t.co/k9bjboRewh

「友よ、あなたは本当に私たちの家族です、あなたのおかげで私たちは今この瞬間まで生きています。
子供たち、ファテンとムハンマドは靴が破れてしまったので、新しい靴が欲しいのです。
350ポンドを集めて靴を買って子供たちの心を幸せにするのを手伝ってもらえませんか?」 twitter.com/halima70198/status

これを糧にまた考えてやれば良いだけでは。なんでそんな子ども扱いするのか。お客様ではなく、これは権利者として当然にやるべきことなのだから、それでもやるのだよ。でしかない。

どうしても出来ないなら大々的に返上する運動でもして、俺達に寄越せ。

 『ディア・ピョンヤン』などで知られる、ヤン・ヨンヒ監督の『スープとイデオロギー』を観る。

 前作で登場していた「おもろい」父は既に亡くなり、認知症になりゆく母を見守るドキュメンタリーでもある。

 大阪・鶴橋は在日の街と言われるが、とりわけ済州島出身者が多い。中には1948年の4・3事件の際に亡命した来た人も多い。

 詩人の金時鐘さんもその一人。また金石範の『火山島』は4・3事件を扱った大著として知られる。日本では映画「月はどっちに出ている」、「血と骨」の原作者として知られる梁石日さんもお二人の仲間である。

ヤン監督の母も4・3事件の際、18歳で蜂起に間接的に関わり、当時の婚約者であった医師はゲリラ闘争に参加して死亡。本人は幼い弟と妹を連れて大阪に密航した。

この済州島の4・3事件は拙著『世界史の中の戦後思想』でも扱ったように、東アジア冷戦の前景化が直接関わっている。GHQ内部のラティモアなどは半島分断政策を批判し、朝鮮人自身のイニシアティヴでの統一を主張。

しかし「マッカーシズム」の嵐がラティモアなど「植民地解放派」を一掃、米軍が直接に介入する。この際、李承晩が送り込んだ反共民間軍事組織によって島民6万人以上が虐殺された。

監督の母や金時鐘はまさに、この大虐殺の「サバイバー」なのである。

Why 'hope' won't save us...
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Hope means understanding our powerlessness in a situation. It means trusting that some other individual, group, or spiritual entity will take an action that we are unequipped or unprepared to take ourselves. If we knew what to do and could do it, we wouldn’t need hope.

Action doesn’t require hope and hope isn’t action. Hope can’t do a damn thing. When we hope, we are really hoping something happens so that we no longer need hope.

The current rhetoric surrounding climate change and collapse is filled with hope: hope that humanity will keep global temperature change below 1.5C, 2.0C, or wherever the goalposts are currently set; hope that humanity will bring down anthropogenic methane by 30% by the year 2030; that green energy solutions like solar, wind, geo-thermal and nuclear will replace fossil fuels; that new technologies to sequester carbon dioxide, to produce clean hydrogen, to re-freeze the Arctic are just around the corner; hope that we will achieve re-forestation, soil regeneration, climate justice, and degrowth; hope that humans will somehow save the planet over the next years and decades.

Hope is a way of pointing towards some moment in the future when a problem has been solved, all the while knowing that the odds against that future are astronomical. Hope is a way of challenging our perceptions of reality and replacing them with a gaslit delusion.
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FULL ESSAY -- climatecasino.net/2022/10/chok

同じ結果が毎年のように続くだろうけれど↓

『単独の出来事が気候変動に直接起因しているとは言えないが、観測されている富士山の積雪不足は、地球温暖化ついて気候専門家らが予測している内容と一致している。』
news.yahoo.co.jp/articles/f2db

そうだなあ、と思った。

たとえば選挙に行くの敷居が高い、場違いだから行きたくないという気持ちは、考えたらわかる。

たとえば字が苦手な人には、投票は恐怖だ。書けないことはなくても、字が怖い人はいっぱいいると思う。そういう人は、投票行こうなんて思えない。その気持ちは、考えたらわかる。

たとえば自分が自分でいられなくなる場所に行きたくない気持ちは、考えたらわかる。
選挙というか、投票所が怖い。どうしていいかわからない。なぜそこに行かなくてはいけないのかわからない。だから行かない。その気持ちは、考えたらわかる。

たとえば投票するという、自分が主体となって動く仕組みを、教わったことがない。生活に必要がなかった。そんな暮らしではなかった。だから行かない。この先も行かない。その気持ちは、考えたらわかる。

たとえばああいう空気の中で、何度も貶められてきた。近づきたくない。また自分がみじめな思いをさせられるだけ。傷つけられるだけ。だから行かない。その気持ちは、考えたらわかる。

わかるよ。

Some brilliant trans person has probably already covered this, maybe, but in my early morning waking musings I was thinking about "gender" as being a kind of "border", an artificial way to divide an essential part of the human experience to better capitalize on it, with the same kind of negative consequences national borders have to human society.

We're "born" into a gender, and we're meant to stay there, we're meant to be "good citizens" of our gender, and not wander around all over the place. We can be moved out of a gender if it's thought we aren't performing it correctly, there are all kinds of rules (selectively applied) that say what we can do or not do within our genders.

But at the end of the day what makes a gender is the same as what makes a nation-state: it's arbitrary, it's a social construction, it isn't an accurate reflection of reality, it's a violent over-simplification.

Anyway, those are some of my random thoughts this morning. Anyone know if there's some accessible-ish writing along these lines out there I could peruse?

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