みんなで同じハッシュタグタイムラインを使ってコミュニケーションする手法は一般的なものといえますが、
ローカルタイムラインをハッシュタグタイムラインに置き換えるという改造を行ったサーバがありまして、
これはローカルタイムラインに外部から参加できるようになるという画期的なものでした。
現在でも、ローカルタイムラインは原理的にそのサーバに所属する人しか投稿できないため、そこに参加したければアカウントを作成するしかなく、
どのサーバにアカウントを作ってもお互いに交流ができて同じ体験が得られるというMastodonの特徴を制限してしまうところがあります。
Fedibirdの #fedibird ハッシュタグタイムラインは、この考え方の影響を強く受けています。
パソコン通信時代の良さも、テキストサイト時代の良さもたしかにあったと思っている。またああいう遊び方ができたらなとも思う。思い出を美化している部分も当然ありそう、とは思うのだけど、わざわざ「美化」なんていうほど捏造してもいないんじゃないか、というのが私見だ。あの頃にはあの頃の独自の(またあそこで遊びたいと思わせるだけの)楽しさがあった。マイナーな趣味の場や閉鎖的な場に飛び込むと似たような空気が味わえたりもするのを知っているので、別にそれでよいという考え方もあるけれど、マストドンがそういう空気の足掛かりになってくれるというなら、それはそれでありがたい。長文が書けるのがウリとも聞いたので、Twitterとは異なる感覚で文章を連ねてみた。よい(読む側としてこんな文章ばかりがタイムラインを占めていたら、読みづらい、と感じるかもしれないが、しかし、ミニエッセイみたいなものがずっと流れ続けるタイムラインというのも、乙なものではないか、って予感もする。そういう文化は経験がない(と書いてみたけど、冷静に考えたら、これまでのSNSでなにか経験はあるかもしれない)(Twitter亜種もちょこちょこあったし)