同情するなら金をくれ。

同情と言うか、見下しと言うか。

障碍者(障碍者に限らずいわゆるマイノリティに属する人全て)に同情するなら、社会での格差を是正するために共に行動した方がいい。同情や哀れみで腹は膨れないし、感じる苦痛が取り除かれるわけでもない。

支援者もいつまで支援できるわけではないしそもそも彼らにも人生がある以上、障碍者自身で自立していかなければならないし、であるなら障碍を背負っていたとしても一人の人間として生きていくために社会的な整備が必要。車椅子を使っている人が映画館で好きな席から見れるようにするとか(方法としては、新しく新設するなら座席列同士の幅を広くするとか、既にある映画館でリニューアルが無理なら新しく介護士を雇うとか。座席列同士の幅を広くすると、トイレに行くときとかわざわざすみませんとか言わんで済むだろうし)

そりゃあさ、観客をたくさん入れたいっていう意図やら何やらあるのは分かっているよ。

ただ、やはり狭いのよな。席と席の間。

上映中にトイレ行くとかがなくても帰る時に座っている人の足が通路の妨げとなると、申し訳ありません(ごめんなさい)、通していただけませんかって言うのがな…。
車椅子が通れる幅なんて障碍者如きがけしからん贅沢だ、と社会や健常者がジャッジするにしても最低限もう一人ぐらい通れる幅はあってほしい。

見る位置で作品への印象が変わってしまう映画というコンテンツで、車椅子専用の場所を作っているとはいえ座席がそこで固定されるというのは由々しき事態よ…。ましてや映画館という空間で見ることに価値がある作品が存在していることを考えるとそれをバリアフリーなどと正直言いたくはない。単に映画館へ自由に行ける健常者という特権階級のおこぼれをありがたがる行為を強いる事に外ならない。

強い言葉なのかもしれないが実際こうしたバリアフリーと言うのは、おこぼれに預かっている事を強いる行為では?無論、昔は車椅子ユーザーが持ち得る娯楽の選択肢に映画館に行くというのがなかったと言われりゃその通りだが、本当にこれでバリアフリーと言えるのかと当事自体は必要だと思う。

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