戸惑い続ける76分間。見終わった後は自分がこの映画を理解できているか、そもそも理解しようとしてよかったのかなど様々な勘繰りがグルグルと頭を巡り海外の批評をいくつか読んだ。おそらく自分の感じた「永遠のような、しかしチープな虚無」「抗えない大きな力は目に見えない」といった感触はあながち間違ってなかったかなと思う。

いや、にしてもなんと観客にとってチャレンジングな映画なんだろう。タイマンふっかけられたような、「おら、”見れ”んのか?」「お前にとって”映画を見る”ってなんだ?」とメンチ切られるような映画だった。つまらないと感じるのも無理はないほどの起伏のなさ、説明のなさ、撮影の素人っぽさ。特に良く言えばドキュメンタリーチックに、悪く言えばホームビデオのように所在なくパンしたりブレブレのズームを繰り返したりする撮影はギリギリアウトかも、と思わせる。中盤のディーラーとしての仕事を10分間以上一切の起伏なく描くシークエンスは、彼女の退屈を観客に体感させるには申し分ないやり口だけど、にしたって長い!長過ぎる!これはつまらないものだと切って捨ててしまいたい自分もいる。予告で惹かれた椰子の木が燃え盛るシーンも「もう終わっていいだろう」というタイミングも幾度も幾度も逃し続け「ここまで来たなら完全に燃え上がってしまうまで収められているだろう」と予想した我々を嘲笑うかのように中途半端なタイミングで次のシーンへと移ってしまう。悔しい。悔し過ぎる。

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時系列もよくわからなかった。限界まで説明が削ぎ落とされているため葬式が行われたと思っていた老人がまだ生きていて、失踪したはずの夫からの求婚が行われていて、混乱した。謎の手首の傷、泥だらけの何かの生き物の死体、3頭のゾウ(たまたま去年上野動物園であの頭を振る仕草は見ていたのでそこまでは面食らわなかった)など多くの明かされない謎。いやまあ、手首の傷はあの友人も何らかの暴力を受けていたか、その暴力によるストレスが自傷に向いたのかなとか想像はできるし、あの死体も一瞬出てきたネコなんじゃないかなとかは考えられるんだけど。

とか考えているうちにニナ・メンケスがSight and Soundの10選にNOPEを入れていたことを思い出した。こういうのに最新作が入るの珍しいなと思ってたんだけどクイーン・オブ・ダイヤモンドを見た後だとかなり納得できる。こちらが映画を見ているというより映画がこちらを見ているような体験だったから。見る/見られるの求道者なのかな。いやー、恐ろしい……。

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