「言葉の階段を上がってゆく。言葉がひとりでにくり返される。かなしみという言葉の上を歩いていた、かなしみ かなしみ かなしみ かなしみ かなしみ。一歩一歩、言葉をひとつずつ踏みしめながら歩く。が、やがてわたしは、自分が歩いていないのに気づく。同じ言葉が続くのは、言葉が動いていないからだし、わたしの足も動いてはいない。言葉は死んだ。その言葉の死を嘆いて、その言葉の中に息づいていた感情の死を嘆いて、苦しみがやってきた。まわりの景色は変わらず、曲がり角にも行き当たらない。道が、世にも不思議な力でわたしを引きよせ、おかげでわたしはいつ右や左に曲がったのか、まったくわからなくなっていた。わたしは言葉の妄想の上を、はだしで歩いていた。(中略)言葉のエスカレーターが足もとを、川のようにさらさらと流れてゆく。自分が起こしてきたいくつもの反乱、その上をわたしは歩いていた。足の下で小石がぽんぽん破裂する。いちばん大きな破片の飛んだ方向に歩いてゆけば、戻れるのかもしれない。けれどいつだってわたしにはわかっていた。行ってみてもきっとそこにあるのは、野ざらしの白い骨、砂にとける亡骸、腐りかけた笑顔だけだし、そして目玉には冷えた溶岩のように、無数の穴が空いているのだろう。」
(アナイス・ニン「迷宮」『ガラスの鐘の下で』)