自分の場合、20代前半でもう読書という行為を諦めている。万巻の書物を読破する、どころか一冊読めば九九九九冊の読めない本が行く手に現れる。そして渡邉一考が書くように、「それは突然に断ち切られる」、つまり読書家にとって死というかたちで読書の個人史は不意打ちのように途絶する。平凡さというおのが運命を受け入れたうえで、それでも大事にしている、いや大事にしたいのは凡庸かつ稀少な「縁」というもので、そのときどきにつきあっている知人に縁のある本は「呼ばれた」のだと思って優先的に手に取る。そばにいる魚を素手で掴み損ねたように取れないことも多いのだが、手に取れた本は不思議なくらいに読んでみてよかったと思えるものが多い。