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クローチェの『歴史の理論と歴史』をゆっくり再読している。古い翻訳で正字なのがしっくりくる。とにかくこうした叙述の歴史についての書物は相対しているものの大きさが途轍もない。神学や存在論はさておき、こうした歴史認識論というか史学史というのか、これこそが哲学、ひいては人文科学の本流であるべきと思えてしまう。しかし現在の日本で日の目を見ることは望めない。何かを既存の形式や型に当てはめる事にだけ躍起になる現在の意識からはあまりに遠い営みだから。

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