有明海・不知火海をへだてていて、長崎市の音や雲が聞こえたり見えたりするはずもない、熊本に暮らしていた婦人(敗戦時20歳)から、日常のおしゃべりのなかで聞いたことです。その方とお話ししたのも、やっぱり夏だっと記憶しています。
長崎に原爆が投下された日のこと、お昼前に、西の空がキラキラして見えて、「長崎市民、全員たいひー」という、きれいだけどとても悲しそうな女の人の声が聞こえたそうです。
婦人の口調が、その話題の時、遠いところからの声のようななんともいえない響きを含んでいたことも覚えています。
今のように情報がすぐに伝わる時代ではなくて、長崎に何があったことも、まったく知らないのに、その日の空の光と悲しくも美しい女の人の声を記憶しておられました。(長崎に住んだこともなく肉親がいた訳でもない方でした。)
私は真実の記憶だと思っています。失われていく、失われていくだろうたくさんの命の声が、無意識下の集団意識(ユング的な)から聞こえたのだろうと自分なりに理解しています。
合掌…
今、命がある私達は元気を出して生きていきましょう。