従来型の選挙は、投票した時点という瞬間において、選挙民の考えが最も反映されるように当選者が選ばれるべきということに重きを置いていて、多くの選挙の数理もその範疇で考えられている。これは、その瞬間における最大派閥かそれに類似する候補者を選ぶというもの。

僕の提案する確率選挙は、投票した時点という瞬間では、選挙民の考えが最も反映されるとは言えないが、確率的に見れば反映されるというもの。集団の意見を反映するというのは、本来、最大派閥の意見を選ぶと言うことでは無いはず。

先の意見で最大派閥を選んでしまうのは、特定の瞬間においてという要請によって、一回毎に切り離して考えるべきという条件が付け加わった事による。

確率をどう解釈するかは難しいところだが、パラレルワールドを考えても良いし、仮に同じ集団が何度も繰り返し選挙をすると考えても良いが、前者であればパラレルワールドの総体として、後者であれば、長期に渡る結果の総体として、当選者の構成は選挙民の構成と一致する方が、より本質的に集団の意見を反映していると僕は思う。(まぁ、ここは価値観の問題w)

価値観の問題とは言いつつも、このような例を考えてみてはどうだろうか?

ある社会では常に51%の人がAを、49%の人がBを支持している。ほぼ拮抗しているとも言えるが、選挙をすれば、Aが連戦連勝でBが当選することは無い。確率選挙であれば、AとBが当選する確率はほぼ半々である。

言い方を変えよう。日本の全ての地域において、51%の人がAを、49%の人がBを支持している。小選挙区制の場合、全選挙区でAが勝利し、国会議員は100%がA派になり、B派は1人も当選しない。確率選挙であれば、期待値として全選挙区の当選者がAとBの半々で分け合うことになる。

選挙区を細かく分けることによって多様な意見が反映されるというのは、アメリカのように政治的な主張が地域によって異なる場合であって、日本のように、比較的均質、もしくは、東京のような少数の都会と多数の地方という区分けでは機能しないんだよね。

ここまでの話を理解してもらえれば分かると思うけど、一票の格差という切り口は原理原則から言えば正しいのかもしれないけれど、実務的では無い上に、理想的な状態になったからと言って、選挙の結果が現状から大きく変わるわけでもなく、ともすれば一票の格差さえ無くなれば、選挙制度に不備が無くなると思っている節があるので、愚かだと思っている。

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多分、日本の法学の人間にとって、選挙は数学が関わる問題だという発想が無い上に、文系・理系の枠組みの中で数学が苦手な人が多く、純粋に政治思想的な問題だと思うことで引きこもっているのが原因だと思う。

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