選挙は自分の一番良いと思う人を選ぶわけでは無くて云々みたいなのが、最近流れてくるけど、どういう根拠で言ってるのかな?以前から、よく言われている話ではあるので、気になっている。

投票の数理に関する研究で言えば、こういうのは、ある種の矛盾として捉えられていて、どちらかと言えば、投票する側の不勉強と言うよりは、選挙制度の問題として捉えられていると思う。

投票の考え方を変えるべきだとか言うのも、どちらかと言えば、選挙というものが選挙民の意見を反映させる制度であるというよりも、立候補者間の戦略の問題と思わせる側面が強いように思えて、それはそれで、投票率を下げる側面があるのでは無いかなぁとも危惧している。

個々の戦略によって決めるという方向性で理想的な選挙制度を作るなら、それぞれの選挙民はスマホから投票し、得票数は時々刻々と反映される上に、自分の投票先も投票終了の時刻まで自由に変えられるようにするのが良いということになりそうだけど、そういう未来を想像しても、僕は望ましい制度とは思えないんだけどなぁ。

結局の所、選挙は常に少数派を切り捨てていくところがあるので、理想的には、当選者数ではあるけど、それが無理でも、やはり少数派の存在が顕在化することも重要では無いのかなぁ。

当然、現状を見れば、そのようなことを当選者は気にしないし、何の意味も無いと言うのは分かるのだけど、それは、選挙制度を変えることで解決すべき事では無いかと思う。

このような点に疑問を持たない人が多いからこそ、不勉強な弁護士が多数決が全てのようなことを恥ずかしげも無く公言するに至っているのでは無いだろうか。

少数派どころか、非常に僅かな人たちの意見を、次善策に集約させることなく顕在化させつつ、社会を構成する多数が一定程度満足するという矛盾が民主主義社会には求められているわけだけど、これには、2つの点での改善策があると思っている。

1つ目は教科書的ではあるけれど、選挙民は自分の権利を最大限主張するのでは無く、主権者としての自覚を持って少数派の存在を自覚し、落とし所を考えて投票すべきと言うもの。ただ、これについて言えば、選ばれる議員ですら、このような考えが欠如したものが多いことをもってしても不可能に近いと思われる。

2つ目は選挙制度を変えるというもの。実は、少数の意見でもそれに見合った分だけ反映させるという方法が数学的には存在する。つまり、得票数に比例する形で確率的に当選者が決まるというものだ。ザックリ言えば、例え1%にしか支持されない候補者であっても、100回に1回くらい当選したって良いのではというもの。実は、この確率選挙は僕が思いついてから知り合いに話しているのだが、副作用として多くの選挙における矛盾まで解消してくれる上に、大きな問題は指摘されていない。とは言え、確率という概念の難しさ故に、理解が難しい面はあるのだけど・・・。

まぁ、思考実験として、ちょっと、想像してみてもらえると嬉しいなw

例えば、選挙民の過半数の意見を反映する候補者がいれば、その候補者にとって、少数派の意見を取り入れることは得票数を減らすことにつながりこそすれ、得は無い。よって、一度、絶対的な多数派になると、往々にして思想的に先鋭化しがちという問題点がある。

一方で、確率選挙であれば、60%の得票数を得たとしても、当選する確率は6割で半々よりちょっと良いに過ぎない。少しでも当選確率を上げるには、より多くの選挙民から支持を受ける必要がある。また、90%くらいの得票数を得ているのでも無い限り、確実に当選するとは言えないわけで、癒着・馴れ合いは生じにくくなるし、実力もないのに何代にも渡って議員を務める家系のような不自然なことが起きる可能性も限りなく小さくなるのでは無いかと思う。

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選挙の戦略という意味で言えば、同じ考えの候補者が複数出ると票が割れて、当選できなくなるために選挙協力するというような話があるが、確率選挙であれば、組もうが組むまいが、本当に同じ考えであれば、どちらかが、それに応じて当選する。

実は、他にも、多くの選挙における戦略や矛盾というものが無効化されるのだよね。

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