YouTubeでDetroit:Become Humanというゲームの実況を見つけて、延々と見てしまった。

アンドロイドが知性を持ったとき、彼らにも人権を与えるべきかというテーマだが、アンドロイドに対する扱いが、アメリカにおける奴隷制や黒人差別をなぞるので、未来の話のような、過去の人権問題を扱っているような不思議な気持ちになった。

白人と黒人の関係とヒトとアンドロイドの関係を暗に並べて捉えさせることが妥当なのかと言われると、やはりアンドロイドは機械であり、ヒトとは様々な点で異なるので、問題があると言わざるを得ないだろう。しかし、ゲームの没入感の巧みさ故に、自分でも自然と並べて考えてしまい、そのことを怖いと感じた。

振り返れば、このゲームで機械であるはずのアンドロイドをヒトのように捉えさせてしまうことの大部分は、その造形にあって、もしヒト型をしていなければ、アンドロイドを虐待し、気に入らなくなれば廃棄するのは、ストレスで家電を破壊し、壊れれば買い替えるという、好ましくはないものの、非難するほどのことでもないのだよね。

わざわざ、アンドロイドが雑誌のページをめくって読んだり、アンドロイド同士に会話させたりというのも、本来は電波でデータ転送した方が早くて正確なわけでw

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とすると、装置に対して知性を持たせるとか、知性を持たせた装置をヒトのように扱わないとかよりも、装置をヒトの姿形に似せて設計・製造することが問題だったと言えるのかもしれない。

ヒトの姿形に似せた藁人形や紙人形を形代として儀式に使うことがあるが、このような感覚は決して過去の話では無いということかもw

ロボットが人間と近づくにつれ、好感を持つが、あまりに近づくと、強い嫌悪感に変わり、見分けが付かなくなれば理論上人間に対するものと同等の好感を持つという、不気味の谷現象があるけれど、その辺とも関係しているのだろうか。

個人的には、ヒトに近いロボットに対する不気味さもあるが、それにも増して、ヒトに近いロボットを作ろうとする人間の熱意に不気味さを感じるところもある。

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