反論としては、PC批判として挙げられた例が誇張されており、大学での自由な発言は一切失われていないということや、さらには、PC批判を展開する中心人物の素性を明かし、政治的な思惑が持ち込まれていることに目を向けさせる。
この辺りまで読み進めると、PC批判側にも反論側にも納得できる部分や意見を異にする部分があり、また、それぞれの側の中でも論者によって意見が異なる所もあると感じ、また、それぞれの文章の著者を見ても、どのような人物かピンと来ないこともあって、意見に同意して良い物かためらわれる場面が何度も出てきた。
どちらの意見も、比較的、論拠が雑で、相手を貶めることに主眼があるように感じるが、最後の章では、論争を超えて、どのようなカリキュラムを大学で提供することが求められるのかといった建設的な意見が論じられる。
ちゃんとした学術論文集では無いので、仕方ないのかもしれないけれど、なぜ、アファーマティブアクションが正当化されるのか、もしくは、正当化してはならないのか、将来的にどのような形に収斂していくべきなのか、などについて論じる文が無かったのは残念なところ。
まぁ、この本を読んで、個々の読者に考えさせることを意図しているのだとしたら、それぞれの文の配置としては良く出来ていると思う。
最初の、PC批判の文を読んでいると、日本におけるPC批判で展開される議論や用語とそっくりな部分もあって、元ネタっぽいものを知ることが出来て興味深かった。
日本の学術会議批判なんかも、アメリカの大学に対するPC批判の文章を読んで、日本の大学の事と思ったんじゃ無いかと思うくらい似ているので、原子力研究など日本の被爆国としての特殊な事情があるにせよ、日本固有の事情を持ち出して議論するのはPCに関する議論の芯を捉え損なっているのかもしれないなぁなどと感じた。
特に答を出してくれるわけでも無く、色々と考えさせられるところがあると思うので、興味のある方は是非。