この苦しさって、ソヒの苦しみの追体験でもあり、その苦しみを知りながら無視する周囲の人の感覚の追体験でもあるからだと思うのです。映画を見たあとしばらく動揺してしまい、私はただ運がよかっただけなのだ、と自分の過去を思い出したりして眠れない日が続きました。
ただソヒを照らした光が、後半でユジンを真逆の意味を持って照らし出すのは本当に救いに思えます。ユジンがソヒの友人たちを訪ね、「私に話をして」と伝える場面の暖かさ。
彼女は社会構造自体を変えることは(この映画の中では)できなかったけれど、それでも次のソヒを生み出さない、という決意と行動に、勇気づけられる思いがするのです。
あと最後に、これ搾取構造の中で抑圧されて亡くなった一学生が、気が強くてダンスが好きで、組織に合わせて自分を矯めることができなかった、ただひとりの「ソヒ」であったって刻み込むような映画でしょ、だから『次のソヒ』というタイトルは私にとっては『私は、ダニエル・ブレイク』と近しい意味を持つんですがなんでこんなぼんやりした希望でごまかすような邦題をつけるんだ。と思うのでNEXT SOHEEを最初につけます。
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