日本のロックが回顧され歴史化されるにあたって、近代化を経て欧米文化が深く浸透し切ったあとに生まれた「日本語ロック」の根拠の無さ、すなわち外来文化としてのロックを素直に受け入れるわけにはいかず、かといってその受容体として想定される「日本的なるもの」がそもそも怪しいというダブルバインドを否認するために、はっぴいえんどをはじめとする「都市生活者の視点からある種の情景を描く」タイプのロックがことさら称揚され特別視された側面はあると思っていて、その分かりやすい対立項や仮想敵として例えばV系あたりが生贄に捧げられたところはありそうな気がする。