Rúrí さん、知らなかったけど、アースワーク系の作家なんだな。虹をモチーフにした作品は2つあるっぽいけど、燃やしているやつは、誰も虹を掴むことができない、現象としての性質に関心があるということと、それが抱える文化的な意味の強さ。
https://ruri.is/
今回の件で、興味深くおもったことの一つは、イメージの意味の読み替えで、Rúrí さんの作品は現在の意味でのレインボーフラッグを意味していなかったとおもうけど、それを文脈を変えて別な意味を作りだしている。完全にネガティブな意味に読み替えているし、それを社会で流通する記号として利用している。
この意味の乖離に疑問がでて Rúrí さんの作品をざっとステートメントとか読んでみたけど、そうするとこちらでは、人間がいかにして自然とかかわっているか、虹という記号と虹という現象の関係が問われている。人間が虹を記号として把握する一方で、自然はそこから逃れる。
こういう記号と実在の乖離という関係において作られるメッセージが、環境活動家のアートをターゲットにした活動と構造的に似ているのではないかと感じる。それが、作品そのものの外部でおこなわれていることも含めて。
@tenjuu99 個々のメンバーの当事者性や政治的態度は置いても、シガーロス自体は意味がそもそも判別できない造語を使うことで知られていたりむしろ明確な政治性とは距離のあるバンドで、そのような曖昧さの美学を現在進行形のセンシティブなモチーフにおいても引きずってしまったのが問題だったのかもしれないですね。
今回のイメージ戦略は、一般に知られるネガティブなイメージと、ビジュアル自体の美しさに引き裂かれつつ意味が宙吊りされてしまう、というのが、個人的にはおもしろい戦略だなと思いました。