そしてこいつはフェミニストの言うことだったらなんでも肯定するんだなあと。しょうもな
https://x.com/yskkun/status/1828319700763443659?s=46
日本のフェミニストは本当に終わってる
https://x.com/mittan0418/status/1828344788531454220?s=46
あなたは本当に黙った方がいい。何をもって「当たらない」のか>
「ここでいわれるリベラルの無謬性とは、差別をした身内を庇う連中に向けられるべきで、差別を批判する側はそれに当たらない。」
https://x.com/gktngc/status/1828258215479648698?s=46
土下座は相手との関係を断絶するためにするコミュニケーションだということが活動家の大先生たちには理解できないらしい
すっかりクズが板についたようだ
https://x.com/zionsion/status/1828231014352932870?s=46
特権の捉え方を象徴するツイート
いろいろ間違っててすごいが、批判を受けたくないという自己防衛と他者化の操作の絶対的な正当化が行われているとみるべきか
https://x.com/mc_minori/status/1827300442088599858?s=46
女性差別を促進する発言
本当にひどい。看護師を女性だけのものに囲い込むことで看護師が女性の仕事であるという不当な規範を再生産するということがなぜわからない
https://x.com/haha_gimi/status/1826968078682636333?s=46
価値中立的概念が差別と関連づけて理解されると混乱がより深まる。例えば、インターセクショナリティとマイクロアグレッションを例に出すと、前者はあくまで現実を分析するためのツールにすぎないのに対し、後者は実際に起きている現象そのものである。両者は根本的に異なる概念なのだ。ところが両者を「社会正義」のような思想とさらに関連づけてしまうと両者がまったく別の概念であることが理解できなくなる。分析ツールにすぎないものに過度に期待が注がれ、現実を解決するための便利な道具として召喚されてしまう。
何が言いたいのかというと、元々言い表そうとしていた意味内容以上のものを読み込まない、期待しないという捉え方は混乱を防ぐ方法として有効なのではないかということだ。ポジショナリティやインターセクショナリティはあくまで分析概念であり、それ以上でも以下でもない(特権は現象形態かもしれないが)。それぞれの概念が直ちに社会正義と結びつくわけではない。この意味をもっと深く考えるべきではないか
立場理論における特権は、ポジショナリティによって被る利益または不利益が異なるので自身のポジショナリティや他者のポジショナリティに注意を向けようという内省的なものだと思うが、これが他者に特権があるという前提から出発してしまうと、お前は特権があるのだから反省しろという他者のポジショナリティそのものを糾弾する方向にいく危険がある
直近で自分が抱えている問題があるからなおのこと思うのですが、次につなげるためのコミュニケーションって本当に大事だなと思う。社会運動でそういうコミュニケーションが培われなかったのでツケを払わされている
意味わからん
結局、マジョリティに特権があることを否定したいだけなんだろうね。特権などないことにすれば自分の主張を正当化しながら検証を拒否できる。批判を不当なものとして主張=差別を絶対化できる。トランスジェンダーへの差別は左翼の正当化の欲望を刺激する。ある特定の集団を絶対的な被抑圧者とすることで、その集団の擁護者たる自分が「よき人」であると振る舞える。問題の中心にいるのはよきことを為す自分であり、そこには社会正義のかけらもない
https://x.com/s_kamioka/status/1552674455323029511?s=46
意味わからん
「すべてのトランス女性は程度の差はあれ女性差別主義者です」←???
https://x.com/s_kamioka/status/1826071463490892127?s=46
「特定のグループと犯罪を結びつける偏見一般に還元しているが、この議論が可能なのは、そのグループの属性と結びついたマジョリティとしての権力を考慮しないで済む場合のみ」←え!???
https://x.com/s_kamioka/status/1767507143236932013?s=46
三木さんの説明に異論はないものの、わたしはあまりマイクロアグレッションを「累積」という言葉を使って説明したくない。累積されるのは個人の経験ではなく、記憶され反復される共通の経験のはずである。しかし、マイクロアグレッションの事例を累積という語を使って説明しようとすると、アグレッションを受けた側の反応を正当化する際に個人の経験の蓄積の結果として捉えられ、共通の生の経験としてのマイクロアグレッションの側面が捨象されてしまうからだ。これからの課題は、社会正義としてマイクロアグレッションの問題を語れるかどうかにあると思う
https://digital.asahi.com/articles/ASS8J2HQXS8JULLI007M.html?ptoken=01J5T0C9E5F39456TMJ79SXB0D
しんどさは平等であるべき