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要するに、子どもが偏見を持つかどうか、差別的思想を受容するかどうかは子ども自身の意志や利害関心に左右されるということ。だって親の人格と子どもの人格はまったく異なるから。子どもが差別主義者になるのは、子ども自身がそうなることを選択するからだ、ということ。ビアードの言うことが正しければ。少なくとも、「子どもの偏見」を論じる際に未成年の子ども全般を指して話を始めるのは適切ではないだろう。

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