これはどこにでもいる、もちろん教育現場や職場に限らず社会運動家やフェミニストにも当てはまるのだが、自分の思っていることをしゃべるだけしゃべっておいて相手には反論の機会を与えず、少しでも相手が意見を言おうものなら人格否定を厭わない、つまり、自分が満足するまで私見を垂れ流していながら相手の意見を一切聞かない人というのはやはり少なくないなと改めて思う。そういう人に限って、ずっと反論してると相手が止まらないから一旦折れようと妥協する姿勢をみせた途端、自分の意見がまるっとすべて受け入れられたと勘違いし尊大な態度をとる。ここで重要なポイントは、そんな尊大な態度をとった時に初めて相手の意見を理解する、というなんとも尊大であるがしかし人間ってそんなもんだよなという事実である。

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自分の意見を通すことが目的化している人間は、相手の意見を少しでも認めることを「敗北」と思いこれを恥だと考える。意見を述べることはコミュニケーションの一環であるはずだが、ある目的のために意見を述べるのではなく、自分の意見を通すことがその目的を達成するための条件であると勘違いしている人間は一定数存在する。だから意見が通る通らないを勝ち負けや競争と同一化してしまう。そのような人間は、自分の意見が通った、すなわち、相手を蹴散らして自分が認められたと感じることで初めて心に余裕が生まれ、自分の優位性が脅かされない範囲において相手の意見を受け入れる。これは本当に尊大としか言いようがないが、しかし、組織をつくる立場、組織を運営する立場に立つ者は、そのような人間もうまく扱う(というよりあしらう)技能が求められる。組織には、対等なコミュニケーションをどう築くべきかということと、どうしようもない人間をどうあしらうか(相手を気持ちよくさせながらうまくこちらの目的のために行動させるか。このとき、この人間は組織の目的を理解し共有する必要はない)ということを同時に考えねばならないのだろうと思う。

もう一つ感じたことは、相手に反論する、つまり、相手に「わかってもらおう」と思い行動することはむしろ事態を悪化させるということだな。相手はこちらのことを理解する気なんて最初から微塵もないのだから。しかし、そのことをわかったうえでなお「わかってもらおう」という動きをしなければならない時もあるのだから、これが不当なことでなくてなんなのか。passすることはたいへんだなとつくづく思う

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