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8曲しか歌わなくても擁護される山崎まさよしと「セトリがベスト盤みたいで手抜き」と叩かれるL'Arc-en-Cielについて考えながらメルカリを梱包。

こういうのってカンパビジネスなんじゃないのかな。

Lhasa さんがブースト

株で二億円稼いだと主張していた暇アノン、税金が払えず財産差し押さえへ。 t.co/vm9sX7En5L

@AtTheBlackLodge 駿の場合、大人の女性キャラは美人かどうかじゃないんだよ! お母さんかどうかなの! そこがキモいの! 「キモい」と言わない井上さんは大人だと思う。

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Q. 特に夏子のデザインはすごく宮崎っぽくないと感じたんですが。
井上俊之. あ、そうそう、それは正しい。キャラ表でも本田くんの絵でした。宮崎さんはやっぱり大人の女性の絵が苦手な様で、唇のあるキャラクターとか大人っぽい顔を描くとあまり良くないと思う。それは『紅の豚』でもそうだったし、もっと美人に描けるんじゃないかなと思っていた。近藤勝也くんのようにもうちょっとジブリの世界観にあったリアルな大人の女性を描ける人もいるんだけれども、これまではどうしてもその宮崎さんの絵をベースにデザインしていたので大人の女性は大体あまりよくなかったね。

井上俊之による『君たちはどう生きるか』- ロングインタビュー - fullfrontal.moe fullfrontal.moe/inoue-kimi-tac

率直で笑ってしまった。でも誰でもそう思うよな。それが〝らしさ〟というやつではあるんだけども。

後楽園ホールの階段の壁の落書き、2ちゃんのログが保存してあるみたいな事である意味歴史的資料として保存されてるとこがあるんだろうけど、普通に個人への誹謗中傷だらけなので本当にあのままで良いのかという疑問が大いにある。

後楽園ホールは一般的には「格闘技の聖地」であり、ボクシングの試合も数多く行われ、ロビーに飾られているのはボクシングの歴代王者の写真であるにも関わらず、階段の壁に書き散らされる呪詛の念は殆どがプロレスに関するものであるように見える。ここにプロレスという〝格闘技ならざるもの〟のジャンルの特殊性が表れているように思うし、そういう意味でも歴史的資料価値がある……とは言え……。

山崎まさよしのライブの話、あんま関係無いんだけどもずっと通ってる系のファンはワンモアタイムとかセロリとかでセトリ枠を割いて欲しいもんなのかな。そういう感覚が麻痺してきたりするよね。

表現の自由みたいなものって、結局マナーによってある程度の緩さも許容されるんだと俺は思ってるんで、ルールを守ってるならマナーは後回しだぜ! ってやってった結果「息苦しく」なってんじゃないの? っていう。崖でチキンレースやりたがる奴らが後を絶たなかったらどうしてもそこ自体を立ち入り禁止区域にするしかなくなってくでしょ。

例の原作者とアニメーターの話題、どんなに頑張っても日本人にとっての信仰の対象は太陽の化身であるという『沈黙』みたいな話だなとなんとなく思った。

「春が丁度良いからずっと春で良いのにな」と思う感じで、他人にも死なないで欲しいと願っているというか。あくまで自分がそれを通過する側の視点で、他人事だからでもある。

親戚であるとか一緒に暮らしてた動物であるとか身近にあった命が立て続けに終わっていくのを体験して、「あ、大まかにはもう自分がその順番を待ってるだけなんだな」という実感が湧いてくる。自分の人生というのはもっと大きく意味のあるものだと思ってたけど、いや実際に自分にとってはそうなんだろうけど、生と死そのものはあくまで巡り回る春夏秋冬のようなものなんだという。中学生の頃とかはそうは思ってない訳ですよ。自分が世界だから。

思春期における日常の空虚感とか生の実感の無さとか自分にもあったのに今思うと超(ってもう言わないらしいよ)どうでもいいので自分の感性の伸び代が終わってる事を実感する。だって死はもう割と近くにあるからね。まだ折り返してもいない可能性があるけど、むしろもう折り返してて欲しい気持ちの方が強くなってる時点で終わってるというか。

Lhasa さんがブースト

通過儀礼の話。主人公は日常における漠然とした不安、生の実感の無さに苛まれており、学校生活から離脱している。移行期間としての老人とのコミュニケーションの時間を体験する。死者を弔うことを通して移行期間を終え、社会に再統合される。
葬儀の場面ではもちろん具体的な信仰描写は無いのだが、合体儀礼が重視されている。劇中でキャラクターたちは共同体的関係性をほとんど共有しておらず、アトム化した個人同士が、コミュニケーションのなかに儀式や通過儀礼を再導入することで「意味」を獲得する物語になっている。
しかし、こういう話ってどこまでいまの若い世代に説得力あるんかな。儀式の再導入みたいなイメージは、個人的には正直結構好きなんだけど。
あと、自分のちょっと上の世代のサブカルの人たちが好んでいた(ように思う)、岡崎京子『リバーズ・エッジ』的なイメージ=平坦な日常のなかに裂け目・リアルとして現れる死、みたいな感じが、子どもの頃あんまりピンと来なかったこととかも思い出した(自分は1984年生まれ)。

なんにもない、なんでもない - 藤野ハルマ | 少年ジャンプ+ shonenjumpplus.com/episode/140

@AtTheBlackLodge そして一方で結構前にカサビアンの新曲というのも出ていた事をさっき知った。こっちはこっちで何というかサージの浪花節サイドの曲で、トムがフェスなんかで歌ってたらノスタルジックな気分に耽れて凄く良かったんじゃないかなっていう雰囲気で切ない。

youtu.be/LzSe-Yr7USY?si=i0ywQg

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そういやワンスアポンアスタジオにフロロー出てたかな。

Lhasa さんがブースト

『ノートルダムの鐘』、画面の色合いやOPの音楽の迫力と盛り上がりが好きだったんだけど、大人になってから見返していないから、今見たら「フロローきッッッッつ!!!!」で大爆発しちゃうだろうな。もしくはキツすぎて5周くらい駆け回って倫理的にだめな興奮を抱いてしまうかもしれない。いやそれはないかな……。

昔見た時もフロローはキツかった。キツかったけど、ロマの女性への蔑視と劣情を認めることができないで最悪の蔑視を上塗りするのって、民族差別と性差別と異文化への消費の眼差しとの最悪煮込みで、うおおおおフロローと私と何が違うって言うんだぁああああってすげー苦しむ気がする。真っ黒い鏡案件。

金曜ロードショーの話です。

"読後、多くの人が「この人、本当に反省しているのだろうか?」と疑問に感じるのではないだろうか。全ての責任を暇空氏におしつけ、彼に騙されていただけで自分は悪くないと言わんばかりの態度に疑問を抱く人が多いだろう。

反省の弁は多く出るのだが、何が問題であったのか本当に理解できているのか疑いが残る。"

「暇アノン懺悔録」について:ロマン優光連載262 bunkaonline.jp/archives/2565

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