母が白内障手術で入院する事になって不安そうにしてた。病院で暇だろうとか、病院はお化けが出そうでこわいとか。
私のプレイリスト「吉井和哉で1時間8分」を聴いてみませんか? https://open.spotify.com/playlist/1gsFhRppG4qFDmTZo5Gn3Q?si=GofAZYnKSmumVRtTAvww1A&dd=1
「いついかなる時でも暴力はいけない」っていう価値観自体はとても大切だと思う。でも、「いついかなる時でも暴力はいけない」って表明する行為自体が、ある人たち(特に抑圧的状況に置かれた人たち)に対しては暴力・抑圧として作用するってことについては多くの人が無自覚すぎるんだよなあ。簡単にそう言ってしまえること自体、自分が特権的地位にいるからこそできることだと思うんだけどな。(強者が弱者に向かって、暴力はいけないよ、て言うときの恐ろしい欺瞞性…)
そもそも、何を「暴力」と呼ぶのかだって、各自が自分の都合の良いように使ってるのをよく見かけるけどね…。
単に外形的な形だけで判断するのでなくて、それがどのように人の尊厳を傷つけたり存在を脅かしたりしているかってことを見ないといけないし、それは社会構造や人間関係の中に現に存在する非対称性を抜きにしては語れないよね。
だからといって暴力を肯定はしない。でも、暴力に訴えるしかない状況にまで追い込まれてしまった人に想いを馳せることは大事だと思う。そういう人や仲間がたくさん増えれば増えるほど暴力は必要でなくなるんじゃないか?てことを思う。絶望したくないのだ。
@AtTheBlackLodge コロナ禍になって、どんどん楽な格好をするようになって、出かける機会も減って体型も変わって、このままだとまずいなと思ってモードチェンジして髪に色を入れるようになった。全てがあまりにのっぺりし過ぎてしまうように感じられた。
一昨年、10何年ぶりかに髪に色入れて今もハイライト入れてるんだけども、外に出る時はマスクするのが当たり前になったのでそうでもしないと何の為に髪の毛があんのか分かんなくなってきてしまうんだよな。もうこれなら別に坊主で良いじゃんとか思い始めてたので。
「金髪にもしてみたかった」この言葉を友達の口からよく聞いていた。タイミングと表情から見るに、人生への後悔のひとつが「金髪にしなかったこと」というのがあるみたい。私はそもそも金髪にしてみたいと思ったことがないので、内心「よく分かんねえな」と思いながらうんうんと聞き、必要があれば手を握ったり、何か言葉をかけていた。でもようやく私もその気持ちが分かるときが来た。
先月なんだか人生にもやもやし、でもこんなのどうしようもないと思い、美容室に行って「インナーカラーを入れてみたい」と言った。「どんな色にします」「どの辺に入れますか」と聞かれ「髪を結んだときに見える感じで」とか、いいなと思ったインスタの写真を見せる。一度ブリーチすることになるので人生初の挑戦だ。ブリーチしてる途中の髪を見て「マジで虎じゃん」と笑ったりした。自分じゃないみたいで楽しい。テンションが上がりっぱなしだ。
ベージュのインナーカラーがだいぶ取れてきて、ほぼ金髪になった髪を見てあの子に会いたいなと思う。妊娠したとき「金髪にしたかった」と言った彼女。会ったら「おそろにしたい!」って言うと決めている。
人質のような愛。
質問箱やってます。
https://peing.net/ja/attheblacklodge