『スピン 9号』に寄せた短篇「うたうきかい」はUTAU音源制作を扱った作品なのだけど、実際に青島の声で歌わせられる音声ライブラリ「青島ロイド」を作って何曲か歌わせてみたりしながら執筆しました

第45回日本SF大賞のエントリーが始まっています。
青島の作品では以下のものなどが選考対象です。
良かった作品があればぜひ応援ください。

『私は命の縷々々々々々』(星海社)
「標のない」(『零合 第2号』零合舎)
「エンジェル・メーター」(anon press)
「筒の脂」(FFEEN)

sfwj.jp/japan-sf-grand-prize/4

「スピン/spin」第9号が本日発売されました。
青島は短篇小説「うたうきかい」を寄せています。
祖母の肉声をボーカロイドに作りかえる孫のお話です。やさしい装置になりたいあなたのために書きました。
よろしくお願いいたします。

『ユリイカ2024年10月号 特集=いよわ』が本日発売されました。
青島は論考「いよわの惑星――合成音声の化石化はいかにして(不)可能となるか」を寄稿しています。
いよわと惑星のアナロジーを切り口に、地質年代的時間スケールでの合成音声メディア論を書きました。
よろしくお願いいたします。

【お知らせ】
「スピン/spin」第9号に短篇小説「うたうきかい」が掲載されます。
生前葬のために祖母のボーカロイドを作る孫のお話です。
肉体から発される声を、なにかを仮託できてしまうやさしい装置へ作りかえることについて書きました。よろしくお願いいたします。

prtimes.jp/main/html/rd/p/0000

>林立する火はひとつに、繋がってしまって見えるが、わたしはいつでもそれぞれの誠意を期待する、草も形で炎を示す
井戸川射子「それは燃える形を示す」(『遠景』思潮社 p91)

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井戸川射子「島の成り立ち」(群像 2024年9月号)がとても良かった。人間の目は人間をとらえやすいようにできているので、あらゆる網目の結節点を人間であるものと感じてしまう傾向にあるのだろうけれど、場所(=島)を成立させているのは生物/非生物を問わないさまざまな存在である。それらはときに擬人化をされ、あるいはときにそれを拒み、影響関係によって互いを混淆させ、あるいは排他し、そうしてつねに境界を変じ続ける。井戸川は「風雨」(『共に明るい』)でも浮遊する視点から蠢く修学旅行生のかたまりを描いていたし、詩集『する、されるユートピア』にもそうした言語実践が多くある。寄せ集められたものたちの、糸を引くような総体が描写されている。

【速くはないけどボーカロイドな曲】

□KAIRUI / 哥
青島のオールタイムベスト。こうなりたい。
youtube.com/watch?si=NOkAMDpYj

□負二価- / サン・バース
中国語と日本語の両方で制作をするPの日本語曲
nicovideo.jp/watch/sm38991236?

□Kyototower / 昇りかけ
均質な声の重ね合わせを活かしたアンビエント
nicovideo.jp/watch/sm43291491?

□とりぽちゅん / telo sewi
音素数のすくない人工言語「トキポナ」を日本語ソフトウェアで歌わせている
nicovideo.jp/watch/sm42342286?

【速いしボーカロイドな曲】

□霧四面体 / 虚像の過多の上に夏
UTAUとSynthVを行き来するなど、合成音声楽曲の制作に対するメタフィクションになっている
nicovideo.jp/watch/sm42571052?

□いよわ / 一千光年 (Kabanagu Remix)
たくさんのボーカロイドが一体になってくしゃっとなっている良い再解釈
nicovideo.jp/watch/sm42573360?

□幾砂襷 / ハイパーサイン
サイン波を切り口に声の記号論を展開する
nicovideo.jp/watch/sm41960009?

「ハイパーサイン」は幾砂襷本人の解説記事がとても良いのであわせてぜひ。
note.com/ikusatasuki/n/n24565b

上の投稿のようなことを踏まえて作ったのが小著『私は命の縷々々々々々』のガジェットのひとつである「思弁服(ミミクチュール)」だったり、『matotte.』収録作の「円にミソハギ」だったりするので、上の話のどこがSFにつながるのだ、と思われるかたはケーススタディとして参照してみてください。

「思弁服」は自己と他者の混淆する場として常に形状を変化させ続ける制服。
「円にミソハギ」はタトゥーの社会的な記号としての側面について扱った短篇。

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感想記事の「はじめに」にわりとまとまったことが書いてあったので、そのまま引用。

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SFマガジン「ファッション&美容SF特集」の予告を見て、あらためて『matotte.』のことを考えている。

ファッションSFウェブジン『matotte.』4月号(創刊号)感想|青島もうじき
note.com/aojima__/n/n6c814f26a

二年ほど前に上の記事でも書いたことだけど、ファッションというものが「自分と世界の接点に生じるインターフェイス」であるのだとすると、それは、自分と世界とを往還しながら操作し続けるサイバネティクス的な試みにほかならないのだと思う。
わたしはSFのSF性を「そこに他者の存在すること」に求めているので、SFというのは比喩でなくまさにファッションを意味するのだと考えている。

関連して、フィルムアート社の『クリティカル・ワード ファッションスタディーズ』に収録されている小澤京子による「身体」の項の記述がとても好きで、わたしはよくそれを参照している。

> 装うこと、身体の外貌を替えることは、自己の身体のコントロール権や決定権を自分自身が握っていることの確認となる。しかし他方で身体や身体イメージには、「他者性」とも呼ぶべきものも残り続けるのではないだろうか。(105頁)

こうした思想は『matotte.』にも通底していたように感じる。

【お知らせ】
『ユリイカ 特集=いよわ』に論考が掲載されます。
合成音声の化石は可能であるのかという問いについて、あるいは身体=天体としての「いよわ曲」という総体についての文章を執筆する予定です。
よろしくお願いいたします。

ユリイカ2024年10月号 特集=いよわ
seidosha.co.jp/book/index.php?

いよわ『映画、陽だまり、卒業式』、良すぎて悔しさすら感じる

地方SFの朗読会、とても良い。
方言や吃音などを聞きなしによって文字起こしすることについては、文字の持つ中央集権的な規範性を抜きに語ることはできないと思うし、反対に、そうした多様な記述に文字を転用することでその機能をハックをすることも可能になるのだとも思う。
地方の名を冠した小説アンソロジーで、声と文字の関係を考えられるようなイベントを開催してもらえるの、すごく嬉しいな。予定をなんとかして遊びに行きます。

思ったことをなるべくこぼさず書いていたら一万字を超えてしまった

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日本SF作家クラブ編『SF作家はこう考える 創作世界の最前線をたずねて』(Kaguya Books)を読みました。面白いテキストがたくさん収録されていたので、明日まとめて感想を書きます。

青島の好きなクリッカーゲームは「Cookie Clicker」「Exponentiai Idle」「Tingus Goose」「Idle Slayer」などなどです。とくに「Exponentiai Idle」はきわめて削ぎ落とされた作りになっていて面白いです。

「電子書籍」という概念がまだ浸透していない時代であったようで「コンピューターに記憶させた本」なんて言い回しが出てきたりするのも面白い。現行の技術が別様の形で展開されえた可能性を感じたりしてどこかサイバーパンク感もある。

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Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。