これに関連して思い出したのが韓国在住の方が指摘していた英語版と韓国語版の『民衆の歌』には「奴隷(支配)からの解放」が歌われているけど日本語版ではそれが無いということ。
焦点が(恐らく意図的に)ボカされていて、抽象的であり、最も重大な視点が欠けているので訴求力が弱い。歴史的意義や歌の持つ社会性が極端に軽んじられている。
まあでも日本って官はもちろん民の方も革命とか支配からの解放とか大嫌いそうだし、もし「奴隷(支配)からの解放」が歌われていたら「サヨクソング」みたいな扱いでタブー視すらされていたんじゃないかな。