「どうしてこれをやらないのか」ではなく、「これを一緒にやってみようよ」でやっていくしかないんだよな。難しいけど。

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おっしゃる通り。強制する物言いはあまり上等ではないです。

カント哲学と世界人権宣言を混ぜた物言いになるが、すべての人には尊厳に由来する自由と平等がある。それは「善を行わない自由」「悪を行う自由」も含んだ上での自由であり、だからこそ善行は尊い。

法律で強制される場合や、私人間契約(雇用契約など)で義務付けられる場合を除けば、人には「なにかをしない自由」もある。

だから、平等で異質な他者どうしとして接し、理性に訴えて「なぜ、これを行った方がよいのか」をプレゼンして理解してもらう手順が正当といえる。何かを実行するコミュニティを作りたいのなら、共有できる言葉が必要だ。

次善の策は感情と共感に訴えかけることだが、1人の人間が受容できる感情的なキャパは限られる。「関心の奪い合い」が起きやすいし、悪用もされやすいので注意が必要だ(外国人ヘイト、トランスヘイトはその一例)。

例えばヘイターに対するカウンターの実力行使をどう考えるか——それは人によって意見が分かれることは当然だ。

他人に無自覚に何かを強制することは、ある意味で家父長制に意識が支配されているということでもある。その理解は苦痛を伴うだろうが、それは人権の理解に結びついている大事な苦痛でもある。
mastodon.social/@comecaML/1120 [参照]

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