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福島第1原発からのALPS処理水放出開始を機会に、原発事故をめぐる思いを、少し綴ってみます。

2011年の福島第1原発事故の後、関東全域で放射線量が増大する不安の中で、早野龍五先生がTwitterで発信する自主的な放射線測定の報告が文字通り「命綱」でした。私はいちおう応用物理学徒でしたので、物理学徒としての早野先生の情報発信の真剣さ、誠実さは理解できました。「関東の線量は退避しなくてもよいレベルだ。汚染はあるが、ぎりぎり大丈夫だ」と家族に説明しました。

退避する場合もリスクはあります。放射線量が多少下がったとしても、生活基盤から離れてしまえばQOL(クオリティ・オブ・ライフ)は低下します。かえって悪い結果につながる可能性も大きいと考え、関東に踏みとどまりました。もっとも、精神的ストレスが高まったことが一つの要因となり、妻は入院が必要な状態になりました。
(続く

私は、当時、放射能を怖れて関東から避難した人を悪く言うつもりはありません。私の決断と、彼らの決断は、全く違う話です。私は自分の知識と直観に基づいて、家族の安全をどう確保するかを早野先生の情報発信により決断しました。しかし、他人に同じ決断を強いることは倫理に反します。

さて、8月24日に福島第1原発のALPS処理水の海洋放出が始まり、太平洋に面した国々やドイツは日本を批判しました。この批判は正当です。彼らを納得させるプロセスを日本政府は軽視したからです。

東京電力が発表したALPSの性能を信じるならば、私たちに危険は及ばないはずです。だとしても、その考え方を他国に無理矢理押しつけることには正当性はありません。

ALPS処理水を放出する前に、正当で透明なマルチステークホルダー合意プロセスが必要でした。どうやら、その発想が日本政府にはなかった。この事は、非常に残念なことです。

続き。原発事故の後の出来事に関する個人的な思い出。

(1) 事故現場に近い地域、また人口が多い関東に住む人々に向けた、放射線量に関する責任ある説明と対話が欲しかったと思います。

東電の発表は要領を得ず、各自治体が自主的に発表する線量も「読み方」は示されていませんでした。リスクコミュニケーションがまったく不十分でした。

(2) 東京電力の計画停電、あれは何だったのでしょうか。しかも都心を避け、都下の地域で実施。これは多くの人々に精神的かつ生活上のストレスを与えました。当時、妻が入院が必要になるまで追い込まれた一つの要因は、あの計画停電のストレスだったと考えています。

「この計画停電は原発の必要性を下々に思い知らせるプロパガンダなどではなく、本当に必要な措置だったのだ」と納得させてくれる責任ある説明が欲しかったと思いますが、そういうコミュニケーションはありませんでした。

振り返ると、当時のコミュニケーション不全の問題は今なお続いているといえます。

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