Twitter(X)について長めの記事を書いた背景に関して。
自分は、長年にわたりイノベーションを起こそうと挑戦する企業や開発者を応援するスタンスで記事を書いてきました。
そうしたテック企業の記事を書く時には、打ち出す施策のビジネス上、技術上の合理性や革新性を考え「こんな狙いがある」「こんな挑戦をしている」「ここに新規性があり要注目だ」といった分析をします。
ところが今のTwitter(X)は合理性では理解できません。幹部の発言も鵜呑みにはできない。社会を豊かにするイノベーションを起こそうとしている会社では、ありません。
今のTwitter(X)は、突然のAPI制限、迷惑な光る看板、極右を優遇し収益配分、ヘイト監視団体をスラップ訴訟と、反社会性をもはや隠さなくなりました。同社のいう「言論の自由」はヘイトスピーチの自由のことです(詳しくは記事に書きました)。
今のTwitter(X)を見るときには、合理性や革新性ではなく、むしろその非合理性、反社会性にこそ注目するべきです。それが今回記事を書く上での思いでした。