[ハンス・クラークによる『サイエンス』シェーンハイマー訃報記事から]
「シェーンハイマーの研究の結果から代謝的な『再生』という概念が生まれてきた。これにおける中心的なアイディアとは、絶えず組織において化学物質は循環している代謝『プール』に放出されるとともに代謝『プール』から取り込むことである。これらの循環的過程にともなってプールの諸成分のあいだで数多くの反応が起きているがそのうちで廃棄物の除去に関する反応は数が少ない」
「動物体の諸成分は急速に特異的な分子グループに分解されこれらはある場所から他の場所に移動する。化学反応は微妙に釣り合っていて再生により体成分の総量および構造は一定である。このように一定であることは生体の構造物質が非活性であり代謝に関与していないことを示していると考えてはいけない。
…代謝サイクルはもちろん生命過程の一部であり生きているあいだに中断することはできない。したがって代謝物の絶えることのない新生を食物から同じ種類の分子を大量に供給することによって止めるのは不可能であり、多くの体内成分の再生は食物摂取と無関係に進行する。…
…一般的に自由エネルギーの増加を起こすすべての再生反応は他の過程と共役しなければならない。崩壊する傾向に対抗して構造を維持するためには仕事をしなければならない。壁から落ちた煉瓦を修復するにはエネルギーが必要であり生体においてエネルギー負債は化学反応によって払われる」
「生体内に存在する複雑な有機分子の維持には非常に多くの多様な反応が絶えず起きていなければなんらない。特異的な基が常に移動していて分子の急速な再生が起きているという発見は生体系は密接に結び付けられた化学反応の1つの大きなサイクルであることを示唆している。この考えは生体が燃焼機関であるとみなす古典的な考えとも代謝に内因性および外因性の形の代謝があるとする理論とも両立することはできない。
燃焼機関の比喩は燃料が絶えず固定したシステムに流れこみ燃料が燃えて老廃物になる図式を描いている。ここに示した新しい結果は燃料だけでなく構造材料もまた流れている定常状態(ステディ・ステイト・オヴ・フラックス)にあることを示している。古典的な図式は身体構造の動的状態を説明するもので置換えなければならない」
「生体についてのこの概念は不完全ではあるが単純な比喩として軍隊の例をあげることができる。このような隊の1つは幾つかの点で成熟した生体に似ている。その大きさは狭い範囲でのみ変化し高度に組織化された構造を持っている。他方ではこの隊を構成する個人は絶えず変化している。人員は加わり職務が代わり昇進したり降職し、いろいろな兵役期間の後に最終的には去ることになる。入るものと出るものとの人の流れは数値的に等しいが構成は変化する。入隊者は食物のようなものである。退役と死は排泄に相当する。
この比喩は生体構造の動的状態のある面だけしか語っていないので必然的に不完全である。構造単位の絶えることのない置き換えを記載してはいるがそれらの相互作用については論じていない」
まさに方丈記…しかしシェーンハイマーは福岡とは違って、これこそが生命だ!!などと仰々しいことは一言も言ってないですな😅
[以下、本文]
「生体のすべての構成物質は機能的であれ構造的なものであれ、構成が単純であれ複雑なものであれ、急速に流れている定常状態にあることを示唆している現代生化学の幾つかの結果…」