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SNSが「見たいものしか流れてこない」と言われているけど、自分は「見たくないものまで流れてくる」気がすると考えたことがある。

それに関連することとして、「自分に都合の良いことしか流れてこない」のはあるなと。都合の良いっていうのは、一緒に共感して嘆いてくれて怒ってくれて傷ついてくれてみたいな。
それってマイノリティにとっては確かに大事なことだと思うし、一緒に共有できるなにかを持っている人がいることは心強いと思う。
でも、そのネガティブな?マイナスな?感情(社会や政治が悪いんだけど)を救ってくれるような人も必要なんだよなと思う。(それが今の社会だと推しであったりするんだけど)

今の社会で推しに求めてることって、音楽や映画やアニメを楽しむ単純な趣味としてというより、「救い」な気がするんだよね。現実から目を逸らせてくれたり、多幸感を味わせてくれたり。それって他者との人間関係の中で、もしくは自分に対するセルフケアで「救う」ものなはずなのに、一方的に推しに眼差しを向けることや推しの人生の成功で「救い」を求めることはとても危険な気がする。
そして、「推し」はファンたちのプレッシャーに潰されたりする。
(これは、推しに救われることを否定している訳ではない。)

話が逸れちゃったけど、
自分の気持ちや状況に「共感」してくれる人は見つけやすくなったものの、それを救ってくれるような人はタイムラインにいないがために、永遠に負の感情をループしてる?=感情的に都合の良い?ものしか流れてこないのかなと。
(実際には都合の良いというより、ループに陥りやすい?、メンタルが悪化しやすい?のかなと。自分の居場所を作れるけど、そこはあまりに何もかも見えないようにしてしまってるのかなと。)

でも、共感や同じアイデンティティを持つ人と話すことで救われることはあると思ってる。
今はそこじゃなくて、同じアイデンティティ(1から10まで同じという意味ではない)で同じような気持ちや状況を抱えている人だけがいる場所(タイムライン)を見続けることは、必ずしもプラスの要素になるわけではないかなと。
「共感」してくれるのも同じような人がいる事実にも救われるけど、永遠に自分と同じような感情?が流れ続けるのってしんどくない?って思い始めた。

頭の中でまとまってないんだけど書いてみた。

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