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よく上の世代の人が「今の若者は世代として共有している音楽や映画がない」とか「この先残るものがない」って言ってるけど、
それぞれが好きなことを楽しんでるってことが「共通項」だし、「共有されてきた音楽・映画」ってマジョリティ向けだったし、今までがおかしかったのかもって認識にならないのはなんで。
日本で“売り出されてる”音楽・映画って正直クソだし(それを好きな人を否定する訳ではない)、“若者の中で流行している”とか“若者はみんな知ってる”みたいにテレビや雑誌で言ってるのも、好きな人は好きだけど、全員が知ってる・好きなんてことは今の時代ありえないのに、若者・Z世代って枠で括ろうとしていること自体がもう終わったってことを認識して欲しいね

話は逸れるけど、
同じ趣味同士だけで仲良くして、それじゃつまらないじゃん世界狭いみたいなのも見かけたことあるけど、交流が同じ趣味同士だけって考え方もありえないよね。
“リア垢”からの逃避行動としての“オタク垢”な訳だし。そこしか見えてないのに偉そうにしてる人黙ってて欲しい。オタク垢で現実でも交流してるのって昔からあったと思うけど、共通の趣味を持った人と思いっきり楽しむってことに拒否感抱いてるのも不思議。

リアルでも、共通の趣味がなくてもお互いの話は出来るし、お互いの推しを好きになったりする。

で、“音楽的に優れてるか”って確かにあると思うけど、昔の音楽が音楽的に優れてるから残ってるって訳ではないよね。
例えば、クィアの中で残り続ける曲ってあるし、KPOP好きの中で残り続ける曲ってあると思う。そういう狭いけどコミニュティの中で大切にされていくってめちゃくちゃ大事だと思うし、“世間に認められる”“世に残る”ことが1番ではなくなってて、同じアイデンティティを持った人に響いて欲しいとか影響を与えたいとか、アーティスト側も狭いコミニュティを求めているような気もする。
だからこそ芸術そのものより、“言ってること・やってること”の方が重視されてるのかも。あと、アーティスト側にお金も時間もないっていうのも大きいかな。アーティスト以外の“副業”やってないと生活厳しいだろうし。

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