モーリーの提言。批判されがちな日本社会の「体質」が、いずれ環境対策の切り札になる?https://news.yahoo.co.jp/articles/20e026b097e251412ec71356e31da3cb01568afb
駄文だ。
なんかもう、飛躍しまくってますし、良い点を持ってきて繋げてるだけですねこれ。
環境対策の切り札? ならないですね。もう意味がわからない。
一箇所だけ切り取っても、下々のレイヤーでは集団主義による相互監視圧があるだけなんで、個々人にはべつだん潔癖性があるわけではない。
個々人に潔癖性がある社会・民族なら裏金アリの選挙などはまず認めないです。
身近なところでは、たばこのポイ捨てや釣り具、空き缶ペットボトルのポイ捨て、改善してるかというとそうでもないでしょ。
個人が潔癖ではなく、社会の同調圧によって下々の道徳的規範が保たれている、と言う事で。
下々への集団主義社会適用のメリット、と言う説明が妥当です。
ところが、お上に目を移すと、集団主義の短所が強く出ています。
環境問題などではお上のリーダーシップが重要なんですが、お上は下々と断絶した別のレイヤーに在り、集団主義にあぐらを欠いて何もしません。環境政策より経済的利益を優先していますよね。
また日本の集団主義はお上を磨かない環境を形成するので、お上が磨かれることもありませんしね。