むかーし、もう10年以上も前の話だけど、ふとしたはずみに「手のかかる子のほうが可愛いがられるもの」みたいなことを言った人がいたんですね。
それ自体は珍しい物言いでもない気はするけど、言った人と文脈の関係で印象に残っていて。でもその当時は私は認められるために一生懸命いい子をしていたので、いい子のほうが可愛いに決まってるはずだと思っていたし、そう思っていないとやっていられなかった。
大人になるにつれてそれ、実感してる。手のかかる人のほうが可愛がられるって確かに世の中にはあるの。全部ではないけど、かなり多いの。
ただ逆に、手のかかる人が心底から大嫌いで、いわゆるいい子が大好きって人も一定数いるんだ。
あれって何なんだろうね、好み的な感じなのかな?
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昨夜怖い夢を見て目覚めたとき、右手の小指側がしびれてたんですよね。目覚めたときは別に潰されてたとかではないので、その直前に変な格好してたんだと思うんだけど、どういう格好をしていたのかは不明。たぶんなんとなくクセで手首を内に折り曲げてることが多いから、それで体重かけたか放置したかだったのかも。しびれはしばらくしたら直って生活には支障ないけど、微妙に違和感がまだ残ってて、寝転がってスマホを持っていたらちょっと痛かった。
寝違えはもとより、寝ていて筋肉痛になった、肩が凝ったあたりは軽い方で、首が妙な位置になって目覚めた、首でのけぞっていた、怖い夢を見ているとき息を止めていたらしい、目を圧迫してしまい眼科行きに(幸い何ともなかった)、タオルケットが首に、などこれまでも寝ている間に自分で自分を殺傷し(かけ)たことが多々あり、いやいくら自分の身体とはいえそこまで責任は取れぬ…というお気持ち。
なんでみんな長い人生の間、ほぼ安全に寝て起きられるの???
書評(2023年10月、部分)
佐藤冬樹『関東大震災と民衆犯罪』
(前略)
「不逞鮮人の暴動」というデマを拡散して武装した自警団の出動を要請したのは警察と役所であり、虐殺の見本を見せたのは軍隊だった。しかし官憲が組織した(消防団や在郷軍人会などを主体とする)自警団は、地域に居住していた朝鮮人(女性や子どもを含む)をはじめ、警察署さえも襲撃してそこに保護されていた朝鮮人を殺害するまでにいたる。日本人であっても「日本人」だとわかった上で殺害している。彼らは「「不逞鮮人」と「善良な朝鮮人」の区別を拒んだのと同様、「朝鮮人」と「朝鮮人に似た人」も区別しようとしなかった」。権力によってひきがねを引かれた民族虐殺(エスノサイド)は、民衆の凄まじい暴力を爆発させたのだった。
国際問題に発展しかねない事態を前にして当局は、軍や警察による虐殺はなかったことにする一方、自警団にやられたのは「朝鮮人ばかりではない、日本人も」というストーリーを震災四日後から流布する。軍官民一体となったエスノサイドに「日本人も殺された」を並べることで、朝鮮人・中国人への虐殺を相対化しようとする意図的なすり替えだった。今も根強い虐殺事件のストーリーをあらためて検証する労作だ。
ジェンダーマイノリティ31歳児。踊ってるか言語と戯れてるかの人。フォロー歓迎。#searchable_by_all_users