(ノーパソ・ノーマウス)(こそっ)
そういえば選挙期間中の蓮舫さんへの揶揄で「(本当は)男」と「中国人」をちょいちょい見かけて、どう見ても揶揄の文脈なんですが、それって揶揄になるんだ…?とすごく不思議でした。
まあ選挙なので「中国人」は「被選挙権がない」と言いたいのかもしれないですけど。
まず見た目であれこれ言うなって話はさておいて、「女なんて」「女だから(だからダメ)」云々と言われることが多いのに、こういうときだけ「あいつは本当は男(だからダメ)」って言われるの、わけわからなくないですか?そのミソジニーを貫くなら「本当は男だから投票しようぜ!」じゃないのか。小学生の言う「オトコオンナー」みたいな感じなのかな、あれもよく分からんけどな。
赤毛のアンに関するしょうもない思い出し話
母親は赤毛のアンが大好きで、シリーズ全作網羅し、家にはアニメのビデオが置いてあって、いつかプリンス・エドワード島に行ってみたいとずっと話している。
私はアニメを見せられて好きだったけれど、アニメの中でマシューが亡くなった瞬間に私の中での赤毛のアンは完結してしまった。その先の物語には興味が持てず、勧められたその後の物語も読まずじまい。
当時は努力してでも母親に同一化して生きていたので、この1つの作品で頑張ってもまったく同化しようもない場合があることを知ったのはちょっとした驚きだった。見ていると母がアンとマリラに共感して情熱を傾けているのは分かるのだが、私にはその機序がまったく分からないのだ。
大人になってみて、あの物語がシスヘテロ女性の看板を負わされてもなんだかんだ生きていける人にとっての「自分の/自分への人生と母娘関係の物語」なのだろうなというのは、何となく想像できるようになった。なるほど私は当時から「女性として生きる」ことには1ミリも興味が持てなかった。リアル三つ子の魂案件。
ジェンダーマイノリティ31歳児。踊ってるか言語と戯れてるかの人。フォロー歓迎。#searchable_by_all_users