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赤毛のアンに関するしょうもない思い出し話 

母親は赤毛のアンが大好きで、シリーズ全作網羅し、家にはアニメのビデオが置いてあって、いつかプリンス・エドワード島に行ってみたいとずっと話している。

私はアニメを見せられて好きだったけれど、アニメの中でマシューが亡くなった瞬間に私の中での赤毛のアンは完結してしまった。その先の物語には興味が持てず、勧められたその後の物語も読まずじまい。

当時は努力してでも母親に同一化して生きていたので、この1つの作品で頑張ってもまったく同化しようもない場合があることを知ったのはちょっとした驚きだった。見ていると母がアンとマリラに共感して情熱を傾けているのは分かるのだが、私にはその機序がまったく分からないのだ。

大人になってみて、あの物語がシスヘテロ女性の看板を負わされてもなんだかんだ生きていける人にとっての「自分の/自分への人生と母娘関係の物語」なのだろうなというのは、何となく想像できるようになった。なるほど私は当時から「女性として生きる」ことには1ミリも興味が持てなかった。リアル三つ子の魂案件。

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