きのうの「才能」の話で言えば、私は読書の「才能」はあまりないんだよね。量を読めないし、読解力も怪しいし、記憶力も怪しいし、集中力もない、そして幻聴がきこえる。
安藤寿康氏は
〈『好き』だけど『不向き』の組み合わせだったとしても、一流にはなれなくとも良きサポーターになれ仕事でも趣味でも生かせる才能になるでしょう。『好き』はとても大事な出発点です〉
と言っていて、そうそう、一流にはなれないけれど、良きサポーターになれればいいね、と。
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才能は生まれか育ちか 遺伝、環境、努力、双子1万組を調査した答え:朝日新聞デジタル https://digital.asahi.com/articles/ASRDX53Y0RDLUCVL044.html?ptoken=01HKPA537WYHJ066SQ2XM5NA91
そういえば、内田樹も『武道論』で書いていたな。能の旦那芸は一流の役者へは遠いけれど、能の良きサポーターとなることにつながる、と。
極端に成功することだけが豊かさではないし、何千万と寄付することだけが支援ではない。「100でなければ0(マイナス)」という発想は、過程も厚みもグラデーションも無化してしまう。
「まあまあ感」を大切にできたらいいな……。