マルチモーダル問題が解決すれば自ずと「認知的な閉じ」問題もほぐれるかもしれない。「記号接地問題」にこだわりたくなるのも創作者の心情としてわかるが、AI研究としては、アプリオリな「記号」という発想から「記号創発問題」に課題が移行しているのかな、と思っている。素人考えですが。

特集「温故創DX」古きをたずねてDXを創る 俳句編 | デジタルトランスフォーメーション | 企業情報 | 旭化成株式会社
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俳句におけるAI、けっこう何もかもズタズタになる感じがして、怖いな……と思っています。

投句型コンテスト的な評価が近々機能しなくなるだろう(小説ではもう起こっていて、審査員が負荷の大きさを訴えている)。
審査員も当然ChatGPT使うよね。じゃあ、これは一体、何をしているの……?
と、なったときに、自分で価値を見つけられるか……。どうするんだろうね……。

そもそもが需要過小供給過大の世界で、「じゃあ何のために俳句を作るんだっけ。藤田湘子の言う通り”自分のため”だな」と……なるかは……わからん……。本当に「褒める」機能に最初から頼らず、そう思えるのだろうか……。

作句の、あるいは選評を書く道具として考えたときは、今だって辞書や類語辞典などを「近眼時の眼鏡」のように使っているわけで、「使える道具」かもしれない。私のように知的能力の低い者にも補助的な道具として使える、かもしれない……。しかし、今度は「呪文」を覚えるのが……(面倒……)

ChatGPTによってメリトクラシーが崩壊するかに見えて、また別の「能力」が要請されるだけ、という、なんとも疲れる話だ……。

例えAI俳句研究者の意図が「相補」であっても、実際の使われ方は違うことになるだろう……。
fedibird.com/@2d3m13/110055542 [参照]

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