差別は絶対にいかんこと、というのは前提として、「差別発言に対してNSのフォーマット提供者が中央集権的に禁止すべきかどうか」というのが次の問いか。
これは微妙だよねえ。「フォーマットがちゃんと禁止します」という運用を実行すると、次には「禁止しないからこれはお墨付きをもらっています(与えています)」という状況が生まれる。「フォーマット=ルールブック」の状況といってもいい。
差別に断固として立ち向かうのは絶対に必要。でもそのために「フォーマット=ルールブック」の状況にすると、「ルールブック」をわたしたちの外においていていいの、フォーマット提供者をルールブックにしていいの、という問題が生まれる。
ぼく個人は、差別への対峙は各アカウント、あるいはフォーマットでないかたちでも可能なので、「フォーマット=ルールブック」にしないというのはひとつの見識だと思う。差別への対抗策はひとつではない。
父親とかは「女に免許を与えるな」「バカとブスは生きてる価値がない」みたいな人だったので、家庭以外の環境で色々な気づきを得られたのはただただ運が良かったとしかいいようがない。
その社会科の先生、赴任直後のテストで論述試験を出して進学校なのに平均点50点を下回る結果となり「出題が悪い」とめちゃくちゃ他の教員に怒られるという尖った先生で大好きだったな。「とても優秀な生徒が多いと聞いていたので、配属が嬉しくて張り切ってしまいました。でもよく考えたら大学で出すような内容だった。本当にすみませんでした」みたいにションボリしてて本当に可愛かった。大好きだった。(さりげない母校age失礼
他に、社会問題ディスカッション好き体験として、社会科の先生が学期が始まる最初に「高齢者、子供、健康な成人が同じスタートラインからヨーイドン!で競争するのと、高齢者や子供にはそれぞれに応じたスタートラインを設定するの、どちらが平等だと思う?」みたいなお題出してきて、当時の私は「前者が平等だ」と答えたんだけど(だから今も根本にはそういうマインドがあるかもしれない)先生は私を否定せず、優しく笑顔で「平等であるとはどんな状態なのか」を一学期かけて授業を通して説明した結果、最終的に私は「平等な社会とは後者の状態なんだな」と理解できたみたいな体験がある。
あとその先生が好きになり過ぎて、テストでクラス一位を取れないと落ち込み「とても良い結果だよ。何でそんなに落ち込んでるの?」と励まされるたびに(あなたが好きなので一番をとりたかったんです)と心の中でだけ呟いていたという甘酸っぱい思い出がある。
政治の話が好きな原体験として、子供の頃に学童代わりに旧社会党員だったおばさんの家に預けられてたのがあって、そこでは大皿いっぱいの料理がでかいテーブルに並べられ、車いすの人、幼稚園の先生、画家、登山家、新聞記者、普通のサラリーマンなどが集まり飯を食いながら社会問題について議論をしてて、私は参加することなく部屋の隅で星新一を読みながら聞き耳だけ立ててた。大人たちは真剣に議論するけど、特定の政党や個人を批判することはなかった。私に意見を迫ることもしなかった。お菓子くれるだけだった。優しく、真剣で、真面目な人たちだった。なので、それが良い体験として未だに残っているおかげで、政治の話は怖くないし、飯を食いながらお互いを尊重して話をすることなんだみたいな感覚が残っている。彼らが社会党員だっだみたいなのも、私が成人して随分後になってから初めて知ったし、当時はなんかディスカッションが大好きな人たちが単に集まってるだけと思ってたけど