それ以前に、身近な大人たちが、自分や自分の親や自分の祖父母の生きてきた時代の歴史を語って聞かせることがないんじゃないんですかね。

そういうことから歴史って、血肉となっていくんじゃないかと思うけど、

大人世代が、すでに何世代にもわたって、自分の生きてきた時代を振り返ったり考えたりすることが出来なくなって、漫然と今を生きることしかか出来てなくて、次の世代も漫然と(良い意味ではなく)茫洋と、ものすごーく低い解像度で世界を見ることしかできなくなっているのかと。

だから、もちろんおっしゃるように、韓国のような面白いドラマも小説も生まれるべくもなく…。

From:
toot.blue/@kmiura/113735012861 [参照]

身の回りで学生運動のことを教えてくれるような環境自体が極めて稀なのではないかと思います。それを社会共通の歴史として伝える言葉もナラティブも不発で何十年も過ぎてしまった。

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学生運動の人たちもまた、身の回りで例えば戦争の加害の歴史を、体験として伝える人は、案外、いなかったんじゃないかとも思います。

私の場合は、うちの両親は2人とも昭和10年生まれで左翼だったので、戦争の加害の歴史は当然知的には知っていましたが、同居する私の父方の祖父が戦場での体験をまともに語ることはほぼありませんでしたし(たまに聞いたのは勇ましい話だけでしたね)、私の父と祖父が会話するところさえ、少なくとも私の記憶には何も残っていない。

両親の疎開の話やら戦後の闇市の話やら何やらや、60年代の学生運動の話は私は聞いて育ちましたし(60年安保は成立してしまったとは言え、当時の学生にとってはそこそこ成功体験になっているので、明るい語り口だったと思います)、

暮らしていたのが渋谷の街中だったので、70年安保の機動隊とゲバルト学生の揉み合いみたいなものは、うちの2階の窓からかぶりつきで見ていたし(催涙ガスで目が痛かった)、親の思想があったので、そこら辺のことは彼らのストーリーの中に取り込まれて語られていたこともあって、私は勉強する前から、経験から肌感覚で身につけていた感じでした。

それでも、それを消化して自分の人生の物語の一部にしていくには時間が掛かるものです。

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