昨日、甲斐犬についてのツイートを見かけてふと思い出したのだけど、同居してた父方祖父は血統証付きの犬が好きで、それも猟犬にするような紀州犬や甲斐犬などを猟をする訳でもないのに飼っていた。
これまであまり考えたこともなかったけど、考えてみたら、彼はある種の勇ましさとか男らしさとかへの憧れのようなものがあったということなんじゃないかとふと思った。当時、それらの犬種は飼い主に忠実で、逆に言えば飼い主以外の人間には懐かないと言われていた(今どきは違うかもだけど)。
あと、祖父は「主人に忠実で、それ以外の人間には懐かない」みたいなのを求めたんだなぁ…みたいなことに今さらながら気がついて、私は、昨夜、驚いてた。「そういう人だったんだな」と。ある種の男のナルシシズムを満たすための犬だったんじゃないかと。
実際、飼っていた紀州犬(ロウという名前だった)は獰猛で、小さな子どもだった私から見るとかなり怖く、ある日、檻を飛び越えて庭に出てしまって、私を守ろうとした祖母が噛み付かれたことがあった。祖父は不在で、祖父以外の誰にも懐いていなかったので。祖母が守ってくれなければ私はあの日死んでいた可能性がある。
タケマルという名前の甲斐犬の方は、その頃には祖父はあまり躾もしなくなっていて、普通に家族皆んなで可愛がったので誰にでも懐く馬鹿な犬に育ったけれど。でも、最初に飼い始めるときにわざわざ甲斐犬という犬種を選んだのは祖父の上記のような好みがあったからなんだろう。
その祖父は、私の父親の兄弟が子どもだった頃は、酔って気に食わないことがあると祖母や父の兄弟をよく柔道の技で投げ飛ばしていたという、今で言うDV男だったそうで(大体、柔道の技って、そういう時に使って良いものなんだろうか)、
私が生まれた頃にはだいぶ丸くなってたので、私はそんな場面は見たことがないけれど、前にも書いたけど、一度だけ私自身が祖父の逆鱗に触れて、危うく投げ飛ばされそうになったことがあった。その時も、祖母が私の前に立ち塞がって私を庇ってくれたことで私は命拾いをした(私の母も父もはその場にいなかった)。
その祖父がもう1匹飼ってた犬がいたのを昨夜思い出した。しかしその犬はおそらく彼が飼いたかったのではなく、私へのプレゼントだったと思うのだが、そして、その割には「プレゼントだよ」とは一言も言われてないことに昨夜思い至った。
ある日いきなりミニチュア・シュナイザーを買ってきて、私に見せて、私は名前をつけろと言われたのよね。私はほとんど興味を示さなかったんだけど、そう言われたから仕方なく、私の下の名前をちょっと変形させたような名前をつけた。…で、誰の所有なのかはよく分からないままだった。…と言うか、私は祖父の犬だと思っていた。笑
今思えば、私のために買ってくるなら、私に欲しいかどうかくらい聞いて欲しかったし、(その時点で「要らない」と言ってたかもしれないけど)犬種も相談して欲しかったよなぁ。
あの時、祖父は私がとても喜んで世話をすることを夢想して買ってきたのだろうけど、もしかしたら、私が喜ばないとかを恐れて、「お前のために買ってきた」の一言が言えなかったんじゃないか。実際、私はほとんど喜んでなくて、ただ名前をつけろと言われたから戸惑いながら適当に名前をつけただけだった。
まぁ「せっかくお前のために買ってきてやったのに」とか「お前のために買ってきたんだから、散歩くらいしろ」とかは一度も言われたことがないのは良かったけど。
可哀想なあのミニチュア・シュナイザーは、多分、祖父にも私にも誰にも愛されずに(世話は祖父がちゃんとしていたとは思うけど)、ある朝、散歩の途中で交通事故に遭って死んでしまい、その場で祖父が道端に埋めてきたと私は聞かされた。それを聞いても私には特に何の感慨もなかったのを覚えている。
今思うと本当に酷い話だ。なんて可哀想なことをしたんだろう。そのことに私は昨夜まで気が付いてさえいなかった。
猫は、台風が来た日に、お腹の大きな野良猫がうちに助けを求めてきて、そのままうちのお店で働く苦学生さんたちが住み込んでいる屋根裏部屋の押し入れで出産してしまったことがあった。
私はその4匹生まれた子猫を、隣の子たちと一緒に名前をつけて可愛がって、1匹だけ飼って良いと言われてたから、どの子を残すかも隣の子たちと相談して決めてたのに(一番小さくて弱い子を残すつもりだった)、ある日学校から帰ると、一番元気な子だけ残されてて、母猫は保健所に連れて行かれて殺処分されて、他の3匹の子猫は、その頃同居してた義理の叔母(小学校の先生をやっていた)が小学校のクラスの子にあげたと言われた。
その残された一番元気な子には、その叔母が勝手に名前を付けていた。私はあの叔母が好きではなく、自分の担任だったら嫌だろうなと思っていた。
子どもにあまり興味がない感じの人だった。
私はあまりその猫は好きではなかったのだけど、その何故か私はその猫に一番懐かれた(餌をやるのは大人たちだったのに)。多分、私が子どもらしくない、とても受け身的な子どもだったからなんじゃないかと思う。今も私のその性格は猫にはウケが良い。
その猫は、それから今思えばおそらく2、3年後に、何か変なもの(殺鼠剤とかじゃないかと大人たちは言っていた)を食べて、吐いていたと思ったら床下に潜ってしまって、そのまま床下で死んだ。
やはり「何か悪いものを食べて吐いていた」のところまでは、私は学校に行っていた間の出来事で、後から大人たちに聞かされたことで、私が帰宅した時には既に床下(トイレの下)に潜っていた。私が呼びかけると鳴き返してきたのだけど、その声もだんだん弱々しくなっていって最後は途絶えた。
私はその猫のことも積極的に愛していたわけではなかったのだけど、その少し前、ハムスターを飼い始めて、私の興味はハムスターの方に向いてしまっていたことを、その時はものすごく後悔した。とても可哀想なことをしたと思って、私のせいで死なせてしまった気がして、大人たちに床下から救助してくれと泣いて頼んだけど、母親には「嫌よ。助けたって動物病院に連れて行くお金はうちにはないからね」と言われた。
そんな家族の中の祖父にとっての初孫だった私は、皆の話題の中心にいつもいたけど(大人になって分かったけど、大人というものは自分たちの緊張関係を誤魔化すための潤滑油として子どもを利用する)、犬を飼う時も、猫を飼う時も、誰も私の意向など一度も聞いてくれなかった。
当時の私が、犬や猫に本当の意味での関心を向けたり、愛情を注いだりしたことがなかったのと同じように、うちの両親も含めてあの頃の私の周りの大人たちも、今思えば、話題にはよくしていたけれど、その反面、私にあまり興味も関心もなかったのだと思う。
あの頃の私はよく周囲の大人たちから「お祖父ちゃんは〇〇が大好きだからね」「お祖父ちゃんにとっては一番の孫だから」と言う、彼らにとっての最大級の褒め言葉を贈られていた。私もそれを自分の価値が高いことを示す言葉と感じて受け取っていた。何か自分は特別な存在なのだという自惚ととともに。
子どもの頃から何度も祖父に投げ飛ばされて育った父の兄弟には、骨身に叩き込まれた祖父への畏れあって、それは晩年の祖父のカリスマ化として結実していた。
同じように投げ飛ばされていた祖母はどう思っていたんだろうか。その祖母こそが、まさに身体を張って私を紀州犬と祖父の暴力から守ってくれた人なのだけど。
皆んな故人になってしまった。