昔働いていた障害者施設、離婚してひとりで子育てして来たお母さんの割合が多かった。

そう言うお母さんからは自分のせいで子どもが障害を負ってしまったと自分を責める発言を聞くこともあった。

ただのパート支援員だった私は「そんなことないですよ」と一言返すのが精一杯だったし、プライベートで何があったのかは聞く術もなかったけれど。

男たちはそう言って妻を責めて逃げるのだろうと、心の中では思っていた。

もちろんいつも積極的にお子さんに関わっていて、施設行事などには必ず夫婦でいらっしゃるお父さんもいたけど。

でも、そう言うのだって、お父さんが来ると「良いお父さんですね」となるけど、お母さんが来るのは当たり前みたいになっちゃうんですよね。「お母さんが来なければ何を言われるか分かったもんじゃない」みたいな…。

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私の実家の兄弟は別に誰も障害はなかったが、

父は家事も、旅行などの家族サービスも、頑張っていた人だったと思うけど、やっぱり父親がやるといちいち「良いお父さんだね」と言われるのに、

同じことをするのに母親が手抜きをしたり、良い加減だったりすると、少なくとも表立って悪口を言われることは無かったにしても、冗談っぽく呆れられたり、笑われたりと言うことになるのは(本人もそう言ってたりするのは)、

本当に不平等だよな、と子ども心にいつも思っていた。

私が母親と同じ性の“女”だったからだと思うけど、嫌だったよな、ああ言うの。変だろ?と思ってたよ。

From: @zpitschi
fedibird.com/@zpitschi/1135472 [参照]

子どもはね。

大人たちのそう言うのを、自分のことのように傷つきながら、見て育つんだよ。

言葉に出して言わなくても。

女の子なら同性である母親が当たり前に差別されていることを私のようにとてもつらく思う。

子どもによっては「アレはお母さんがダメだから、私はあんな風にならない」と同性を見下して育つ。

男の子だって、自分の大切な母親が当たり前につらい思いを強いられているのを見て、自分の性の罪深さに傷ついたり、

逆に女を見下すことで、そうされても仕方がないのだと合理化して、その傷つきを否定してお父さんたちのように差別を内面化して育つこともある。

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