小学校から高校までクラスメイトが同じ話題であーだこうだ話してるとき、発言力のある子が多数派と違う意見言ったとたんころっと意見変えるやつ多くて軽蔑してたけど、あいつらがそのまま大人になったのが「普通の神戸市民」やったわけね。そりゃそうよね、同じ神戸やもんな。子どもの頃のそういう体験忘れて都合よく夢見てたわ

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分かる。

皆、「偉い人」や「大勢」の言うことに合わせて「お喋り」しているだけ。

本当に自分の頭で考えて、我と我が身に引き付けて、苦しみながら考えている人なんてほとんどいない(もちろん皆無なわけではないのだけど)。

映画や小説もそう。あんなに正義の味方が葛藤して孤立しながらも正義や弱い者のために戦う話が皆んな大好きなのに、あれは娯楽としてただ消費しているだけで「もし自分があの立場だったらどうするだろう」とか、きっと殆どの人は悩んだことない。

私はまだ戦後民主主義教育が盛んだった頃に子ども時代を過ごしているので、あの頃は「偉い人(学校の先生やメディアに出てる知識人など)が皆、左翼的なことを言うのがデフォで、だからあの頃の友だちに会うと「お喋り」としては左派的なことを普通に言ってた。自民党政府の批判とか。

でも所詮お喋りなんだなと分かったのは、反安倍の国会前の抗議に誘ったら、最初は彼女らは気持ちよく一緒に来てくれたけど、「主人に黙ってきてるから」と段々来なくなったり、私が行かないときにひとりで行くことはないんだなぁと気づいたりしたから。所詮はアレも「付き合い」だったんだなと。

From: @mamemumiko
social.vivaldi.net/@mamemumiko [参照]

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