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そうか。

日本人の「判官贔屓」って、ずっと「弱きを助け強きを挫く」ことなのかと思ってたんだけど、実は、安倍晋三とか斎藤元彦とか松本人志とかに同情して、「可哀想!」と「お輔け」するような心の動きのことだった?

義経だって、庶民でも何でもないし、むしろ血統の良い、高い身分の人間だよね。

結局、この国では、庶民は観客で、主役になったことは無いってことか。

まぁしかし、今のアメリカ見てると、驚いたことにアメリカ人も似たり寄ったりなんだろうな。

驚くには当たらないのかも知れないけど。

きっと、観客の自分自身のルサンチマン的なものを(「世が世なら、俺はもっと世間に認められていた筈!」みたいなやつを)、血統が良いのに認められない不遇の主人公に重ねて、高貴な存在と自分を同一化して、この世界への恨みの涙を一緒に流す快感がそこにあるんだろう。

そうだ。

きっとそうに違いない。

今の日本人見てても、間違っても「弱い者のために涙を流す」気風など、これっぽっちも感じないもの。

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