この本、とても読みやすくて面白かった。

>「共通善」が失われている状態のことを「暴政」と言います。

>「暴政」なんて聞くと非道な指導者による暴力的な政治のようなイメージがあるかも知れませんが、政治思想史の用語として、「暴政(ティラニー)」とは、一部の指導者が自己利益を優先させた結果、市民生活が疲弊し、自由と平等が損なわれた事態を意味します。

ただ、ここで「選択」と言っていることをするためには、本人が自分の「欲望」が外の所謂「現実の世界」と切り離されて感じられていないと、そもそもその人にとっての選択の根拠が(動機づけが)本人にとって存在しないことになっちゃうんだよな。

「選べ」と言われても、本人にしてみれば本当に分からないから「何でもいい」になるわけで、それをもって「逃げるな」と叱っても、分からないものは分からない。それを認識できるほどに自我が育っていない。

「選択」するには、最低限でも、外界(他者)と分離した「欲望の主体」としての自我が存在しないと…。

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逆の言い方をすれば、その欲望の主体としての自我を持っている人ならば、「選べ」と言われなくても、または「選ぶな」と言われても、自分から勝手に「選ぶ」(思考する)んだと思う。その人が持っている知識や情報によって、その選択の先が人によってまちまちになるのは仕方がないにせよ。

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