(早川由紀夫さんのツイート↓)

私自身は、このまま推移すれば火砕流にひとが巻き込まれて死人が出ることをかなり確からしく想像していた。しかし、観測所長から「避難については口を出さないでください」と言われていたし、観察対象に観察者の影響を及ぼすべきでないと思い込んでいて、ひとが死んでも仕方ないと考えていた。

twitter.com/hayakawayukio/stat

5月20日に溶岩ドームが出現して、私は23日に島原に入った。24日に初回火砕流、26日にやけど火砕流があった。29日の山火事火砕流のその日か前日に島原を去った。国道57号で水無川を渡るとき、こわくて急いで渡った。北上木場に行こうなどとはつゆとも思わなかった。

で、結局43人が死んだ。後悔の念がつよい。あのとき、北上木場に行って説得していれば、観測所の庭で会った記者にもっと詳しく説明していれば、と繰り返し考える。

防災は自分とは関係ないと思っている若い火山専門家は多いだろうが、自分の専門知識がひとを助けることができると確信したときは、行動したほうがいいよ。

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火砕流、早川由紀夫さんもきっと一生消えないトラウマになっているんだな。こういう、他人が見えないものが「見えちゃう」ことって、本当に辛いんだよ。大抵の場合、幾ら警告しても誰も耳を貸さないしね。

私の場合は、家族の重い病理に家族の中でただひとり気がついちゃったんだ。だけど、手を拱いて見ている以外に何も出来なかった。あまりにも辛くて、側にいたら無駄な悪あがきをして、もっと事態をこじせそうな気がして、だから縁を切った。

その話を私がした時、斎藤学さんは突然カサンドラの話をし始めた。私は思うのだけど、カサンドラは別に予知の超能力があったわけではないんだよ。ただ他人よりも平常性バイアスなどに惑わされず普通に考える力があっただけなんだろうと思う(因みに最近世間一般でよく使われる「カサンドラ症候群」という言葉の使われ方には私はまったく同意できないです)。

今も本人が問題を自覚できずに面接を辞めてしまうような、こちらには問題の大きさが見えているのに、私が救うことが出来ない患者さんには同じ苦しさを感じる。何もできない自らの無力感と。

From: @zpitschi
fedibird.com/@zpitschi/1125570 [参照]

患者さんだけでなく、本人は気がついてなさそうだけど、深刻な心理的な問題を抱えている身近な人にも。何も出来ないのに側で見ていなければならないのが辛くて距離を取りたくなる。多分、この早川由紀夫さんと同じ感覚のような気がする。

対人援助の仕事をしている人には、そのような苦しみを感じている人は少なくないんじゃないか。

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