「どんな意見にも心をオープンに」ってのは理想的な態度なのかもしれないが、突然攻撃的に、あるいはイヤミたっぷりに苦言を呈されたときに戸惑ったり怒らないでいられるのはよほどできた人間ですわね

「心をオープンに」というのは、怒った時には怒ったと、痛い時には痛いと、逃げたい時には逃げたいと、ちゃんと感じることだと思う。その場でやり返すとか言い返すとかの行動に出すかどうかはともかく。

…というか、心の中でちゃんと感じることが出来る方が、そうでない場合よりも、一拍、間を取って考える(自分の気持ちを吟味する)余地が生まれるので、すぐに反射的に反応して(自分の気持ちを自分で理解する前に行動に起こしてしまう)失敗する危険を免れる確率が上がる。

From: @Erscheinung47
erscheinung47.com/@Erscheinung [参照]

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もちろん誰が相手であれ、どんなに良い人だったり、善意で何かを言ってきたりしたとしても、こっちには相手にこっちの内面をすべて晒さなければならない義理はない。もしそういうことを「オープンに」と呼ぶのだとしたら、それは他人の内面まで支配しようとするヤバい目論見であり、決して乗るべきではない。カルトじゃないんだから。

心理療法では敢えてそれを出してもらうのだけど(非常に無理なことを敢えてやる)、それは完全にシャバでの利害関係などが一切ないことが前提になる。その場限りの関係で、守秘義務が保障されていなければ大変に恐ろしいことになる。

たとえ相手が、親でも、パートナーでも、親友でも、大切な恩師でも、何もかも晒す(オープンにする)なんて恐ろしいことしなくて良い。内面の自由はとても大切。…ってか、そんなことされても普通は相手だって困るし。笑

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