>地震発生は16時10分。特定災害対策本部の初会合は20時03分だった。政府は4時間もこの災害を不当に過小評価した。初会合から2時間後の22時、岸田総理は誤りに気付いて、みずからが本部長となる非常災害対策本部を設置すると記者団に語ったが、ただちに会合を招集することはなかった。
>その結果、1日20時03分の特定災害対策本部会議で決めた応急対策が、2日9時23分まで13時間継続した。自衛隊の士気に大きく影響しただろう。消防の救命救急活動にも悪影響があっただろう。
>正月休みの元日に起きた、半島で道路アクセスが悪かった、など悪条件は確かにあった。しかし、それらは理由にならない。生き埋めになった大勢のひとの命を救うために「できることは全てやる」必要がほんとうにあった。
>少なくとも2016年4月熊本地震(M6.5)を上回る救命救急活動を迅速に展開する必要があった。
>地震の翌日2日から4日まで、救命救急のために重要だとされる最初の72時間は冬の北陸地方にはめずらしい好天が続いた。風が弱くて視界もよく、ヘリコプターを飛ばすのに支障ない天候だった。不幸中に訪れたあの幸いを生かすことができなかったのが残念だ。