例えば、戦時中のオーストリアやハンガリーやイギリスで、ほぼユダヤ人だらけの集団だった草創期の精神分析コミュニティにいた人々は、殆ど政治とは関係のない、人間の心の深層、無意識の問題に日夜夢中になって取り組んでいたんですよね。
むしろもう少し自分たちに対するジェノサイドに興味を持ったらどうなの?という状況だったけど、彼らはもしかするとそのような現実から逃げるようになのかもしれないけど、空襲があろうが雨が降ろうが槍が降ろうが、無意識の世界に没頭していた。
そして、もう、いよいよ危ない(捕まってホロコーストに送られる)となった時、フロイトはもう自分はこのまま逃げないと言っていたんだけど、お弟子さんたちがそれを許さず、亡命を手配してイギリスにフロイトを逃した。
その他の分析家たちの多くも、皆、アメリカやイギリスに逃げた。
かなりノンポリというか、民族的な事情で、おそらくは政治に口出しできる状況ではなかった。ただ逃げるのが精一杯。
大変に不幸な状況だったのはまちがいないけれと、そんな抑圧的な状況が(心はひたすら内向きに内向きにならざるを得なかったんじゃないかと思う)とても内向的な営み、精神分析を生んだのかもしれないと私は想像したりしている。
当時の欧州にいたユダヤ人にそれ以上のことを求めるのは、おそらく酷すぎるし、あの環境の中で、後世にとって大きな意味のある研究を怯まずにやり続けた点は天晴れだとは思うけれど、
何も今の日本にいて、もう少し世の中を悪くならない方向に発言できる私たちが、あの頃のユダヤ人を真似らだけが能ではないだろうとは思う。